2015年2月8日日曜日

生命の社会化 ~子供は社会が育てるもの~

 日本でパックスや事実婚を広め、気軽に子供を産めるようにするのもいいのだが、夫婦間の拘束力が弱まるため必然的に片親の子供が増加することが予想される(フランスの婚姻とパックスと事実婚の離婚率の統計があればよかったが、探し出すことができなかった)。
 どのような家庭でも一定水準の養育・教育を享受できるシステム(セーフティネット)がなければ、いたずらに貧困家庭を増やすことになってしまうだろう。堅牢な婚姻制度は、「育児システムとしての家族」の形状を安定させるための装置でもあるのだ。

  昔のように祖父母が育児に協力してくれれば、若い夫婦がガンガン働いて稼ぐことができるのだが、祖父母が協力してくれない、あるいは、そのような環境にないほとんどの核家族は、特に母親が育児に体力と時間を費やしてしまい、まともに働くことは出来ない。行政サービスはキャパシティオーバーだし、民間サービスは高額である。核家族は、生産性の高い若いうちに、資産を増やすことができず、運が悪ければ高コストな民間サービスに頼らなければならない。祖父母が育児に参加するかどうかで、大きな格差が生まれるのである。
 社会的には、父母だけが「働け。そして育児もしろ!」と責め立てられがちだが、一族の資産を増やしたければ祖父母も育児に参加すべきということを、高齢者たちには自覚してほしいし、祖父母に子を託すことに遠慮は要らないという社会的な共通認識が醸成されるべきだと思う

  しかし、現実的な問題として、物理的な距離の問題や、人間関係の問題で、祖父母と協力しながら育児のできない夫婦も多く存在する。都市部に住んでいる夫婦が、田舎から祖父母を呼び寄せるなど考えにくい。普通は一緒に住みたくないし、祖父母の住宅を別に用意する金銭的な余裕はない。

 ならば、「子供は社会で育てる」という認識の下で、国家的に養育・教育システムを組むことはできないだろうか。簡単に言えば、国が子供を完全に引き取って、養育・教育するのだ。そうすれば、親の責任や金銭的負担を軽減させることができる。更には、そもそも婚姻に頼らずとも子供を作りやすい社会になるのではないだろうか。
 考え方を下図に示す。





 悪く言えば、国が親から子供を取り上げてしまっているようだが、良く言えば、日本人として生まれた生命を漏れなく社会全体で支えるおせっかいなほど手厚いシステムと言える。
 昔は、コミュニティ全体で子供の面倒を見ていたとよく言うが、その延長として捉えてもらいたい。『日本村』といった風情だ。
 ここまでドラスティックな政策を打ち出せば、国民のマインドは変化し、安心して子供を産める国になるのではないか。この仕組みの詳細は別のページで説明する。


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