3月11日明け方、夢を見た。
私は街が見渡せる6~7階のアパートに、若い6人ほどの同居人とともに暮らしていた。地平線の果てまで低い建物の街並みが続いていた。
リビングで寛いでいると、たて笛のようなヒューという高い音色が聞こえた。その直後に、遥か遠くで微かに破裂音が聞こえた。私だけに聞こえているのかと、同居人を見渡したが、誰も気づいていないようである。すると、また先よりも少し大きな破裂音が聞こえた。窓の外を見遣ると、遠くの空に光を放つ飛行物体が煙を吐きながらゆっくりと飛んでいる。私は指をさして皆に知らしめた。
7人が注目する中、光は弧を描きながら街に落下し、爆発した。ミサイルだった。
まだその時は、現実感がなく他人事のように一同はその様子を見詰めていた。
しかし、また一つ、また一つと光が街並みに飲みこまれ爆炎が上がり、それが徐々にこちらに近づきつつあった。そして、飛来するミサイルは途絶える所か、次第にその数を増やし、空を埋め尽くすほどの量になった。
私の感情は恐怖を省略して、世界の終りを迎え入れようという諦観の域に入っていた。
世界は意外なほど静かに終わってゆくようだった。
街の半数が瓦礫に変わった頃、私のアパートの近くで爆発が起こった。その直後、大きな爆音とともにアパートが大きく揺れ、窓硝子が割れた。
不思議と7人は落ち着いていた。皆が何かを覚悟して顔を見合わせた。
無数のミサイルの雨が降ってくる天の方向に、人ならぬ巨大な悪意と神性をもった存在が感じられた。私たちは、何もせず死ぬよりは、その者に抵抗しようと考えたのだ。
私は言った「着替えようか。」
皆は静かに深く頷き出かける身支度を始めた。
ここで目が覚める。
その日の昼下がり、東日本大震災が起こった。
私自身も、大きな揺れに見舞われた。恐怖を通り越して、世界の終りを覚悟する感覚が、明け方に見た夢と酷似していた。
この「偶然の一致」は、シンクロニシティ(共時性)と呼ばれるものと捉えています。
人は通常、ある現象は物理的な因果性を以って引き起こされると考えます。例えば、「風が吹いて、木から一枚の枯れ葉が落ちた」という現象について、「風が吹いたから」という因果の連関を想定します。
しかし、共時的概念に則って解釈すると、「大事な人が死に、一枚の枯れ葉が落ちた」と考えることが出来るのです。つまり、意味やイメージ、人間心理といったものを共通項にし、それに関連する複数の事象が、物理的因果に関係なく、共鳴するようにほぼ同時に引き起こされるというのが、シンクロニシティなのです。
シンクロニシティの提唱者ユングも、第1次世界大戦の前に、ヨーロッパが大洪水に襲われる夢を見るなど、多くの予知夢や予知的な幻像(白昼夢のようなもの)を見ています。
ユング心理学辞典によれば共時性とは、
1. 非因果的連関の原理
2. 別々のできごとに、互いに因果的な関連はないが、そのつながりに意味が感じられる事態を示すもの
3. 別々のできごとが、時空間的に互いに一致し、しかも意味深い心理的連関がそこに感じられる事態をしめすもの
4. こころの世界と物質の世界をつなぐもの
です。
シンクロニシティについて、単なる偶然の一致だ、論理的ではない、という批判は当然ある。
ただ、ウィキペディアにもあるように、「遠く離れた出来事が、直接に物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは、量子力学の相関関係において明確に表されている」のです。
ユング派心理学者フランツは共時性に関連して次のように述べいます。
「心と物は実際は1つの現象であって、一方は『内側』から観察されたものであり、もう一方は『外側』から観察されたものである」
量子力学における、2つの電子のスピンの話に似ていなくもない。
ユングは、自身の体験や東洋の宗教の研究からシンクロニシティを提唱したが、それほど多くの事例には接していないでしょう。しかし、個人的体験が無数にネット上に暴露されている現代、ブログやTwitterで今回の地震に関するシンクロニシティ様体験がどれほど起こっているのか探ってみると、意外に多く発見できるかもしれません。