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2015年2月8日日曜日

「壁ドン」してほしい… ~焦燥の日本女性~

流行語の「壁ドン」が、2014年ユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた。

「壁ドン」は、ご存じのとおり「男性が女性を壁際に追い詰めて手を壁にドンと突く行為」である。
こうしたシチュエーションは、漫画やアニメで昔からよく使用されたもので、登場人物の男女関係を示す記号的役割を果たしてきたのだが、その行為自体に明確な名称がつけられていなかった。
2008年に声優の新谷良子が「萌えるシチュエーション」として「壁にドン」という言葉で紹介したのが初出と言われており、2014年にSNSを介して「壁ドン」として急速に広まった。

 皆がなんとなく気になってはいたが名無しだった概念に、名前が付くことは気持ちの良いことである。現在は、若い女性が中心となり、嬉々として新しく誕生した言葉「壁ドン」を活発に使い、その習熟度・認知度を向上させている段階である。 
「壁ドン」が流行したのには、下記のような社会的背景があると思う。

■社会的背景1:『女性活躍』というスローガン
 日本は国際的に見ても女性の社会進出が難しい社会である。そんな社会であるがゆえに、女性が価値を示すには、良い結婚をして、良い子供を産み育てることである、という旧来の価値が根強く残っている(ここでは旧来の価値の是非は置いておく)。
 そのような社会を変えようと、政府から「女性活用」「女性活躍」というスローガンが掲げられ、社会は概ねその方向に向かいつつある。しかし、多くの女性 は、まだ女性が活躍する社会をイメージできず、旧来的な価値を保持しており、出来ることなら家庭に入って、家庭を守りたいというマインドが未だ優勢のように見える。
「女性を労働力にしようとする政策」「心の準備が整っていない女性」との間にあるギャップが、今は大き過ぎる。故に女性にとって今の社会は、「本当は労働から逃れ、責任を負わされることのない安住の地でずっと穏やかに暮らしていたいのに、社会はそこから引きずり出そうとする」というストレスフルな状態なの だ。
 このような状態が、自分を支配し外界から守ってくれそうな「壁ドン」男性への憧憬を抱かせる一因となっていると思われる。
■社会的背景2:『草食系男子』の存在
 積極的に異性と関わろうとしない男性に『草食系男子』という名称が与えられ、当初は「男らしくない」という批判的なニュアンスで論じられることが多かっ た。だが今では、そういう人種が相当数存在し、おそらく漸増しているという事実が受け入れられ、草食系が存在してもよいという認識が広まった。そうして草食系も市民権を得るに至ったのである。近年では、無性的な人生を歩もうとする『絶食系男子』も注目されつつある。
 そこで困るのが女性である。女性は身体的構造からして、生殖行為の基本的態度は「受動」である。勿論、人間の女性は理性的な意思決定によって行動するが、 心理的にも、生物学的な雌としての影響を強く受ける。したがって、往々にして生殖の起点は、男からのアプローチなのである。(※あくまでも、心理学的な傾向であり、個人差はあります)
 にもかかわらず、草食系男子の登場により、生殖を実現するには、自らが「肉食系女子」となり、女性からアプローチしなければならなくなったのである。これは、一般的な女性には大きな心的ストレスである。
 このような社会において、「壁ドン」してくれるような積極的な男子は崇高で理想的な男性像なのである。
■社会的背景3:処女の増加
 「壁ドン」以前にも、理想の男性が女性を迎えに来てくれるイメージとして「白馬に乗った王子様」がある。他にも、グリム童話の「白雪姫」や「ラプンツェ ル」、さらにはスーパーマリオのピーチ姫など、姫が王子の登場を待ち望んでいるという原型的な心理が反映されたストーリーが多く存在する。
 「壁ドン」願望をもつ女性は、こうした物語における姫願望をもっていると見てよさそうだ。そして、そうしたメルヘンチックな姫願望をもつ傾向にあるのが、現実の性を知らない処女である。
 若者の性体験率は、2005年あたりをピークに現象を続けている。女子大学生に限ってみれば、2005年は61.1%だったが、2011年には46.8% にまで下がっている(財団法人日本性教育教会調べ)。(※ただし、今と昔では「大学生」の価値が異なること、2011年は震災があった特殊な年であったことという無視できないバイアスが含まれている)


 若い頃に機会を失えば、そのまま処女で居続ける女性の割合も多くなっていると予想できる。故に、「壁ドン」願望を持つ女性も増えるのだと考えられる。
 そもそも、この流行は処女かつサブカルチャーに親和性の高い『腐女子』が盛んに広めたものだとも考えられるが。


 以上をまとめてしまうと、「壁ドン」が流行ったのは、心の準備ができてないうちに女性を労働力にしようとする雰囲気が社会に立ち込め、女性に焦りが募る一方で、性欲旺盛な男性が減少し、性行為の機会をもてないまま、創作の世界の理想の男性像を強く求めた結果である。
 いずれにしろ、2015年には流行が終わり、普通の言葉としてそれなりに定着し続けることになるだろう。そして、日本の抱える性の問題が現状のままであれば、女性の不安や焦燥を背景とする別の新語が流行することになるのだろう。


生命の社会化シリーズまとめ



生命の社会化 ~子供は社会が育てるもの~

 日本でパックスや事実婚を広め、気軽に子供を産めるようにするのもいいのだが、夫婦間の拘束力が弱まるため必然的に片親の子供が増加することが予想される(フランスの婚姻とパックスと事実婚の離婚率の統計があればよかったが、探し出すことができなかった)。
 どのような家庭でも一定水準の養育・教育を享受できるシステム(セーフティネット)がなければ、いたずらに貧困家庭を増やすことになってしまうだろう。堅牢な婚姻制度は、「育児システムとしての家族」の形状を安定させるための装置でもあるのだ。

  昔のように祖父母が育児に協力してくれれば、若い夫婦がガンガン働いて稼ぐことができるのだが、祖父母が協力してくれない、あるいは、そのような環境にないほとんどの核家族は、特に母親が育児に体力と時間を費やしてしまい、まともに働くことは出来ない。行政サービスはキャパシティオーバーだし、民間サービスは高額である。核家族は、生産性の高い若いうちに、資産を増やすことができず、運が悪ければ高コストな民間サービスに頼らなければならない。祖父母が育児に参加するかどうかで、大きな格差が生まれるのである。
 社会的には、父母だけが「働け。そして育児もしろ!」と責め立てられがちだが、一族の資産を増やしたければ祖父母も育児に参加すべきということを、高齢者たちには自覚してほしいし、祖父母に子を託すことに遠慮は要らないという社会的な共通認識が醸成されるべきだと思う

  しかし、現実的な問題として、物理的な距離の問題や、人間関係の問題で、祖父母と協力しながら育児のできない夫婦も多く存在する。都市部に住んでいる夫婦が、田舎から祖父母を呼び寄せるなど考えにくい。普通は一緒に住みたくないし、祖父母の住宅を別に用意する金銭的な余裕はない。

 ならば、「子供は社会で育てる」という認識の下で、国家的に養育・教育システムを組むことはできないだろうか。簡単に言えば、国が子供を完全に引き取って、養育・教育するのだ。そうすれば、親の責任や金銭的負担を軽減させることができる。更には、そもそも婚姻に頼らずとも子供を作りやすい社会になるのではないだろうか。
 考え方を下図に示す。





 悪く言えば、国が親から子供を取り上げてしまっているようだが、良く言えば、日本人として生まれた生命を漏れなく社会全体で支えるおせっかいなほど手厚いシステムと言える。
 昔は、コミュニティ全体で子供の面倒を見ていたとよく言うが、その延長として捉えてもらいたい。『日本村』といった風情だ。
 ここまでドラスティックな政策を打ち出せば、国民のマインドは変化し、安心して子供を産める国になるのではないか。この仕組みの詳細は別のページで説明する。


生命の社会化 ~結婚の常識を壊したフランス~


男女の在り方や結婚の形態については、もっと選択肢を広げるべきである。
フランスでは結婚には3つの形態がある


  1. 日本のように婚姻関係を結ぶこと。
  2. パックス(PACS:連帯市民協約)という、1999年に開始された、2人の個人間で安定した持続的共同生活を営むために交わされる契約。
  3. ユニオン・リーブルという婚姻関係もパックスも結ばない、法的手続きを踏まないつながりを持つこと。オランド大統領とファーストレディの関係はユニオン・リーブルである。

婚姻の種類の全体の割合は下記の通り。
  1.  婚姻関係:2320万人(全体の73.1%)
  2.  パックス:138万人(4.3%)
  3.  ユニオン・リーブル:717万人(22.6%)
(仏国立統計経済研究所調べ;2011年時点)参考

 しかし、最近の単年でみると、パックス婚が急速に増加している。
 2008年の婚姻件数は27万3500件であったのに対し、パックス婚は14万6千件に達したのである。

 婚姻とパックスの大きな違いは、婚姻関係における離婚は裁判官による審理が必要となるが、パックスは両者の同意は必要なく簡単に契約破棄できる点にある。また、パックスは同性間でも可能である。
  個人が多様であるように、人と人との関係もまた多様であるはずで、日本においても外面は同じ婚姻でも、夫婦の関係性は様々だろう。私自身の婚姻も、概念的にはパックス婚に近い。どちらかが離婚したければしてもよいし、子作りのための関係でもない。他の異性と交際することを制限しないことにもなっている。かといって、お互いに性的欲求がそれほど高くないため、その権利を行使することは今後もないだろう。このように、共同生活をし社会的な優遇を受けつつも、個人や自由を尊重する男女関係も存在しうる(我が家がちょっと特殊なのかもしれないが)。日本には、旧来的な婚姻制度しかないため、それに頼るしかないのだ。

  パックス婚自体の考え方も参考になるが、古い婚姻の概念を残しつつ、現実の問題を解決するために新しい選択肢を作ってしまうという手法自体も日本は参考にできるだろう。
 特にフランスは、カトリック系の宗教をこじらせたやっかいなタイプの保守派が存在する。そうした保守や頭の固いお年寄りにも受け入れられる新しい社会制度を作ろうとした場合、この考え方は重要だった。古いシステムを派手に破壊するのではなく、古く形骸化したシステムと新しい有効なシステムを並列させ、じわじわと古い方を無意味化していくのだ。

  婚姻の概念を変化させるには、これまでの道徳を疑うような価値観の転換が必要だ。我が家の婚姻の概念について他者に話をすると「他の異性と交際することを制限しない」という部分にとりわけ不快感を示す人が多い。これは、配偶者が別の異性と交わることを、異性を独占したい動物的な本能が拒んでいるためだろう。 また、特定の人間が複数の異性を独占することは、男女受給のアンバランスが起きてしまうという考えが働き、それが性的な道徳へと変換され、男女一対の美徳 や不貞への憎悪を生み出していると考えられる。このような、感情や道徳の壁を乗り越えなければ、日本における現在の価値観、ひいては現状の婚姻制度に楔を打ち込むことはできないだろう。 
 フランスの婚姻制度の底流にはおそらくカトリックの保守的な思想が流れており、それがあまりにも深刻で重たすぎるものになっており、結婚も離婚もひどく面倒 である。そのため、現代のフランスの若者にとっては受け入れ難いものになってしまった。
 それに比して、日本は結婚も離婚も紙切れ一枚あれば済んでしまう。 集団主義の日本において婚姻制度を重たいものとしているのは、専ら「世間の目」を気にしすぎる点にある。この「世間の目」を柔らかくするためにも、婚姻に対する価値観を日本全体で変えなければならないのだ。

 そもそも現代日本の結婚観は、明治時代に欧州からもたらされたものだ(参考:人類婚姻史)。当の欧州が結婚の概念を見直し始めているのに、日本は彼らからプレゼントされたものをいつまでも大事にしている。結婚観にしても、憲法にしても、物持ちがいいと言うべきか、慎ましいと言うべきか…。
 男女一対の美徳、婚姻と出産の癒着といった観念を緩めれば、採集部族としての日本人が、縄文から明治にかけて行ってきた男女複数同士の緩やかなつながりの中で子供を作る種族保存方法に近づくことになる。その方が、日本人には合っているのではないだろうか。私たちは過去に戻ることは出来ないが、新たな方法で日本人に適合する種族保存方法を見出していく必要があるように思える。


生命の社会化 ~この世に生命が産まれるのに越えなければならないハードル~

  少子高齢化が進み、日本は団塊の世代が要介護者となる最も苦しい時代を迎えようとしている。人口を増やすべきかどうかの議論は別にあるとしても、各世代の 人口のアンバランスを少しでも解消し、傷口を広げないためにも、これ以上の少子化は食い止めなければならない。他に解決策があればよいのだが、現実的なアプローチとしては子供を増やすしかないのが現状である。
 子供を作り、育てるということについて、変化させるべき一般的な共通認識とどのように変化させるべきかについて、私なりの考えを下記に記した。

●現状の共通認識:
 ・子供は実の親が育てなければならない
 ・婚姻制度をベースとした子供しか認めない

●持つべき認識:
 ・子供は社会が育てる
 ・婚姻制度ベースの子供じゃなくても認める


■1.日本に生命が産まれるまでのハードル


 さて、子供を作ろうとすると、まず結婚をしないと、世間から冷たい目で見られ、行政や会社からの優遇措置も受けられない

 じゃあ、結婚をしようかと思うと、現在の婚姻制度は、心理的にもコスト的にも非常にハードルが高い。相手を探す作業や、さらに結婚の前段階である恋愛作業には、時間とお金が非常にかかる
 いざ結婚をしようと思っても、高い教育コストを支払って子供を有名大学に入れなければ、無残な社会的地位に落ちてしまう。そんな収入が2人にはあるのだろうかと不安になる。自分の子供が惨めな思いをするくらいなら、作らない方がよいし、子供を作らない結婚などしない方がよいとさえ考える。
 良い住環境を手に入れるにも、膨大な資金が必要である。
 また、一度結婚してしまうと、離婚したくても両者の同意がなければできないし、離婚もまた世間からの冷たい目があるため、一生を添い遂げる重大な覚悟で結婚しなければならない。

 こんなハードルがあっては、子供など作れるわけがない。余程の資産家か、半ば自暴自棄になった人でなければ。
  オジサン・ジイサン連中と飲みに行くと必ず、「結婚は? 子供はいる?」と聞かれる。私が「既婚で、子供はいない」と答えると、子供が欲しいとも言ってい ないのに、「大丈夫、子供なんて作っちまえば何とかなる」と返ってくるのである。社会保障を勝ち逃げできる世代はこの発想でよかった。今は状況が異なる。



■2.婚外子を認める世界の国々

 フランスをはじめとする少子化対策を成功させた国々が実施したことは、婚外子を社会的に認めることであった。

世界各国の婚外子の割合

 スウェーデンやフランスの婚外子が50%を超えているのに対し、日本は2%台である。日本もそろそろ婚外子を社会的に認めていくべきではないかという議論が一部で始まっている。
 フランスは婚外子を認める社会にするために、結婚の概念も多様化させた。


 次回は、結婚の概念を見つめ直す為にも、フランスの婚姻制度の事例を取り上げてみる。


人類婚姻史シリーズまとめ

人類の婚姻史についてまとめたページ。



 

 

人類婚姻史 ~日本の婚姻史~

 「知的な生命である人類は古代から一夫一婦婚だった」と信じる人が多いようだが、婚姻に関する認識は、ここまでで見てきたように時代とともに大きく変化してきた。
 ここでは、婚姻の形態の変遷を時系列でまとめてみる。特に、独特な婚姻形態をつい最近まで持っていた地域である日本を中心に示す。  





 原始の日本民族は長い間、採集部族として集団婚(それも、最も原始的な近親との婚姻)を続けていたとみられる。
 1700年前に大陸からやってきた侵略部族に支配され、統一国家が形成された後も、長い間集団婚の流れを汲む夜這い婚(妻問婚)を続けた。 

 大宝律令(701年)には、一夫一妻制があり重婚の罪があった。(参考

 しかし、貴族、将軍、天皇においても、「正室」を置くことで一夫一婦制の理想に沿いつつも、実質は一夫一婦多妾制をとっていた。

  一般のムラ社会の中では、夜這い婚が継続されていたとみられる。「夜這い婚」=「集団婚」であり、1対1の男女が独占的に婚姻関係を結ぶのではなく、特定 の共同体内の複数の男女が婚姻関係を結ぶものである。これはただの無秩序な乱婚ではなく、村落共同体を維持していくためにシステム化された婚姻制度であ り、性的規範である。そのシステムの詳細仕様は、地域によって多様である。(参考
 明治時代、欧州化の流れで政府から夜這い禁止令が出されたが、農村部では昭和初期まで行われていた。縄文の流れを汲む夜這いの特殊性は、外国人を驚かせたようである。
 ここまでで述べたとおり、日本において、一夫一婦制が明確に意識され始めたのは、せいぜい100~200年前なのである。日本人が採集を始めた1万年前からのスケールで見れば、日本人の一夫一婦婚の歴史は、たった1~2%なのだ。


 人類の婚姻史を改めて辿ってみると、恋愛や結婚、子作りへの認識に多少なりとも変化が生じるだろう。

 ■ 婚姻形態は、時代に応じて大きく変化してきた
 ■ 種族保存の戦略の下では、個々人は平等ではない
 ■ 人類は、非常に長い期間、広い地域で
   一夫一婦婚ではない婚姻形態で種族を守ってきた
 
 この事実は大きい。
 一夫一婦婚の思想が支配的である現代社会を過去の婚姻形態に戻すことは不可能だろう。
  ただ、現代社会の中で一夫一婦婚について、人々の性的充足という視点でも、種族保存という視点でも、何かミスマッチが起きているということに多くの人が気付き始めている。そろそろ何らかの変化が起きてもおかしくないし、もう変化させるべきだと思う。(フランスでは既に「パックス制度」という形で変化の兆候が現れている)
 特に、日本人にとって一夫一婦婚は、借り物の概念でしかない。それは美しいものであるし、パズルのピースが上手くはまるような気持ちの良い概念でもあるが、日本人の無意識に十全に浸透しうるものなのだろうかと思う。

 少子高齢化やあらゆる性的な問題について思考・議論するとき、旧来的な婚姻の概念に囚われていては根本的な問題解決策は見えてこないだろう。古来からの婚姻形態の流れを知り、種族保存の戦略は多様であることを知らなければ、思考の牢獄から脱することは出来ない。

(参考)
 :人類史全体のおおまかな流れについては、こちらを参考にしました。


人類婚姻史 ~宗教・思想の勃興 (約2600年前)~

 国家ができ、より多くの人が大きなコミュニティの中で生きることを選んだことで、 人々は理想(あるいは幻想)を共有し始め、宗教や思想が生まれた。
 西洋ではユダヤ教(後にキリスト教)が生まれる。非現実的で排他性の強い唯一絶対神に基づく世界観を構築。
 ユダヤ教では、結婚は神聖なものとされている。キリスト教の聖書においては、性が意識される結婚そのものを善しとしない記述はあるが、結婚儀式は神により男女が結びつけられたものとして行われる。これらの思想に基づき、比較的早くから一夫一婦婚が根付いた。

 東洋では儒教が生まれる。五常(仁、義、礼、智、信)にみるように、社会規範を軸とした教えであった。支配者の武力による覇道を批判し、徳によって人民を治めるべきとした。
 結婚観においては、一夫一婦多妾制とも称すべき体系をとっていた。妻群に格が与えられ、妻、妾、地位無き性愛対象の女性に分類された。







 「徳」の宗教である儒教が、このような婚姻形態を是としていたことは重要な事実だ。
 現代の欧米やその影響を受けた地域の人々にとって、一夫一婦婚が唯一絶対的に正しい男女関係のあり方だという認識が主流である。
次回は、人類史のスケールで日本の婚姻史の歩みを確認していく。


人類婚姻史 ~農耕小国家 (5500~2600年前頃)~

 遊牧民から蓄財の概念が生まれ、それが国家の形成へと繋がっていく。


 この後、人類に大きな影響を及ぼす宗教が生まれ、それが婚姻の概念にも影響を与えることとなる。それは、また次回。 


人類婚姻史 ~遊牧民の性(5500年前頃)~


狩猟採集とは異なる遊牧という生き方が生まれたのが約5500年前。



 遊牧民の生殖の様式の中から蓄財の概念が生まれた。
 同時に、それを他集団から奪おうという集団が現れた。これが戦争の起源である。
 5500年前、イラン高原(メソポタミアとインドの間の大高原)で、次いで中央アジア高原に連なる遊牧部族を介して、モンゴル高原(北方アジアの大草原)で、争いが起き始めた。
 遊牧部族は、優れた騎馬技術を武力として、長らくユーラシア大陸の覇権を握ることとなった。

 次回は、小国家が生まれ始める時代のお話。


人類婚姻史~採集部族の性 (1万年前)~

 前回説明した狩猟部族とは異なる道を選んだ採集部族について説明する。






 全ての男と女が結びついた状態である。
 狩猟部族と異なった形態をとることとなった原因は、生活様式の違いにある。

 「狩猟」は個人の身体能力の優劣で獲物の獲得量に差異が生まれ、男の優劣が意識されやすい。

 それに対して、「採集」は個人の能力よりは、多くの人手をかけ、協力しながら手分けして、食糧を探すという方法である。

 よって、狩猟部族はより優秀な男の遺伝子を選別する必要性が高かったが、採集部族は集団全体の規模を維持・拡大する為の生殖の道を選んだ。



 採集部族の女が性に開放的であることは、後に欧州の列強国が採集部族系の国を侵略した際に、しばしば確認されたという。現地の女は、突然やってきた白人をいとも簡単に性的に受け入れたという。

 現代でも、「日本人の女は簡単に体を許す」という認識をもつ外国人男性が多い。異論のある女性は多くいるだろうが、「欧米との文化比較」や「採集部族的な傾向」という視点では正しいのだろう。メタ認知のできる日本女性は、自らの本能の名残を理解し、自らを律しているが、一般的な日本女性は性に対して寛容な傾向があるのは確かだと思う。


 また、現代のアイドル文化からも採集部族の本能の残り香を感じることができる。東洋のアイドルは、おニャン子クラブ、ハロープロジェクト、AKB48のように「女性集団」の形式をとり、「男性集団」を受け入れている。個人よりも、集団であることに価値が生じているようだ。
  



 話を戻すと、この後遊牧という生活様式が生まれ、彼らが世界に大きな影響を与えることになる。その話は、また次回


人類婚姻史 ~狩猟部族の性(1万年前)~

 前回は、強い外圧に晒されていた時代の話をした。今回は、少しずつ技術を身に着け生存確率を伸ばしてきた時代の話で、特に狩猟部族について説明する。


 ボス集中婚時代からの違いは、全ての男に子孫を残す可能性が持たされており、集団の中で生殖に携わることができる男が複数人存在することが許される社会になったということだ。
 反対に、前時代から変わらないのは、生殖の可能性を保有していながら、結局生殖にありつくことができない男が相変わらずいることだ。

 外圧が弱まったことにより、男たちは集団を守ることだけでなく、他の男との違いを見せつけて如何に女から評価されるか、すなわち「モテる」ということに意識を傾ける余裕が生まれたのだ。
 東洋人に比べて、欧州・中東の人たちの自我が強いのはこうしたことが影響している可能性がある。

 次回は、採集部族について説明する。



人類婚姻史 ~サルからヒトへ(1万年以前)~

 現在の婚姻制度は、現代の人類が生殖や種族保存を保証する手段としてに適合しなくなってきていることに多くの人が気づき始めている。

 ここでは、人類の婚姻史を辿り、人類はどのように生殖や種族保存を実現してきたのか、一夫一婦制は本当に絶対的な男女関係の在り方なのか、といったことに迫っていきたい。性が絡むため、学校の歴史の授業では教わることのできない内容である

 さっそくだが、サルが地上に降りた時代から話を始める。






  集団の中で、生殖に携わるオスはボスのみで、その他のオスは、集団の安全と食糧の確保のために存在する。
 集団の全てのメスは、ボスと結ばれている。
 つがいを探し求めて彷徨い歩くような、非効率で危険な事はしない。そんな余裕はないのだ。
 この集中婚システムは、オスたちの保護の中で、ボスという優秀な遺伝子保有者が、多くの子宮を使って、子供を量産する、
という効率的なシステムだ。
 死が常に隣り合わせのような強い外圧の下で種族を絶やさないためは、これが最良のシステムなのだろう。

 ところが、その外圧が弱まると、男女関係の様相が変わり始める。







 人類が知能を高め、安全や食糧に関する問題解決が進むにつれて、外圧が弱まると、ボスによる集中婚が崩れ始めた。
 集団の規模や生活様式に合わせて、婚姻の形式を変化させたのだ。

 

 ここから、「狩猟部族」と「採集部族」で異なる形態をとり始める。



 次回は、狩猟部族について説明しよう。