ラベル 心理学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 心理学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年3月18日水曜日

意外と知られていない「"マズローの欲求階層説"の6階層目」

 メディアに出てくる学者や、評論家がよ援用する心理学の理論に「マズローの欲求階層説」がある。
 これはアメリカの心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。

■マズローの欲求階層

 欲求の各階層の説明は以下の通り。

1階層.生理的欲求(Physiological needs)
 生命維持のための食事・睡眠・排泄等の本能的・根源的な欲求。
 極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどない。しかし、人間にとってこの欲求しか見られないほどの状況は一般的ではないため、通常の健康な人間は即座に次のレベルである安全の欲求が出現する。

2階層.安全の欲求(Safety needs)
 安全性・経済的安定性・良い健康状態の維持・良い暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
 この欲求が単純な形ではっきり見られるのは、脅威や危険に対する反応をまったく抑制しない幼児である。
 一般的に健康な大人はこの反応を抑制することを教えられている上に、文化的で幸運な者はこの欲求に関して満足を得ている場合が多いので、真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない。

3階層.社会欲求と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
 生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
 自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚、情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚、かつて飢餓状態に置かれていた時には欲することのなかった愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
 不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。

4階層.承認(尊重)の欲求(Esteem)
 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。尊重のレベルには二つある。
 低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。
 高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得 ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。
 この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

5階層.自己実現の欲求(Self-actualization)
 以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。
 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
 これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、以下の15の特徴が見られる。

 1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
 2.自己、他者、自然に対する受容
 3.自発性、単純さ、自然さ
 4.課題中心的
 5.プライバシーの欲求からの超越
 6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
 7.認識が絶えず新鮮である
 8.至高なものに触れる神秘的体験がある
 9.共同社会感情
 10.対人関係において心が広くて深い
 11.民主主義的な性格構造
 12.手段と目的、善悪の判断の区別
 13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
 14.創造性
 15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

 これらのうち、最初の4欲求を欠乏欲求(Deficiency-needs)、最後の1つを存在欲求(Being-needs)としてまとめることもある。マズローは、欠乏欲求と存在欲求とを質的に異なるものと考えた。自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。数多くの人が階 段を踏み外し、これまでその人にとって当然と思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。 
 また、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐性を持つようになる。そして、成長欲求実現のため、欠乏欲求が満たされずとも 活動できるようになるという(ex.一部の宗教者や哲学者、慈善活動家など)。
 晩年には、「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした。この考えが、後のトランスパーソナル心理学の源流ともなる。



■意外と知られていない6階層目

 そして、意外と知られていないが、マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、「自己超越」(self-transcendence)の段階である。 自己超越者(transcenders)の特徴は
  • 「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
  • 「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
  • 統合された意識を持つ
  • 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
  • 深い洞察を得た経験が、今までにある
  • 他者の不幸に罪悪感を抱く
  • 創造的である
  • 謙虚である
  • 聡明である
  • 多視点的な思考ができる
  • 外見は普通である(very normal on the outside)
 マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。


2013年5月16日木曜日

戦時下の性に関わる発言とその後の社会現象

橋本徹さんの戦時下の性に関わる発言を廻った
「一連の現象」が私にとって興味深いものになっています。
「性が絡んだ話題に対しては、
 どれほどIQが高くても、どんなにお勉強ができても、どんな知識人でも、
 合理的に議論することが困難になってしまう」

私が以前より考えていた、このことが正に表現された現象ではないかと思うのです。

橋本さんの主張の前提条件は
 ・大戦当時、軍人たちが慰安婦や現地私娼を活用していたのは、日本だけではない。
 ・上記をのようなものを活用して性的エネルギーを発散することは、
  現代の価値観では許されない。その時代に戻ってはならない。
 ・ましてや、強制連行の慰安婦(性奴隷)など絶対に許されい。
  日本については、2007年の閣議で強制連行の証拠はないとされている。
  ただし、意に反した慰安婦がいたとしたら謝罪しなければならない。
 ・軍人の性的亢進という現象は、心理学的にも、歴史的事実からも
  間違いなく起こるもので、その高まった性的エネルギーは、
  性犯罪を防止するためにコントロールされるべきである。
 ・沖縄駐留米軍に(やや皮肉を込めて)奨めた「風俗業」は、合法的なものである。
  (決して、買春ではない)

といったところでしょう。
その上で、
 ・日本だけがレイプ国家だと世界から非難されるのは理不尽であり、
  その不当な批判により国益を失うのは避けるべきである。
 ・(米軍について)沖縄県民に対してレイプするくらいなら、
  合法的な「風俗業」を利用し、法の秩序の中で性的エネルギーを
  コントロールしてほしい。

と主張しているのです。

全くもって全面的に筋が通っていると思います。
唯一、ロジックに穴があるとしたら、
軍人の性的エネルギーのコントロールの方法について、
従来から存在し、誰もが簡単に思いつくであろう、
「風俗業を利用する」という解決法を提案することに
留まってしまっていることくらいかと思います。
現状は風俗業活用くらいしか方法がないが、
より有効な方法を研究することが人類の課題である、
とでも付しておいた方が角が立ちにくかったでしょう。
また、橋本さんは繰り返し
「なぜ日本だけがレイプ国家だと誤解されているのか考えなければならない」
と述べています。
残念ながら現状は、韓国のロビー活動や
国内のリベラリストと称する歪んだ思考の持ち主たちの活動が
見事に成功しており、彼らが世界中に流布した間違った認識を
修正していく必要があるということを暗に示しているものと思われます。


注目すべきは、橋本さんの主張に対する批判が悉く筋違いであることです。
批判する人たちの言葉に敢えて一々反論していくと、
逆に橋本さんの主張が合理的であることを裏付けることができます。
その典型的なパターンについて見ていきましょう。

①女性の人権を侵害している。
 していません。
 あくまで、合法的なものを活用するべきと述べています。
 風俗業に従事する者は自分の意思で、日々多くの人の嫌がる仕事をして、
 一定の社会的役割を果たし、一般の平均よりも高い報酬を得ています。
 ニュースで目にしましたが、横断幕を掲げて活動をする「女性団体」は、
 さながらピクニックに来ているようなもので、仲間で集まれそうなネタに釣られて、
 碌に相手の主張を理解せず、騒いでいるに過ぎません。
 彼らの目的は、集団の結束固め、
 社会へのコミットを深めること、
 身体的には失われつつある女性であることの実感の回復です。
 風俗業が人権侵害だというのならば、批判の矛先は法律に向かうべきです。
 「女性団体」を名乗るのであれば、
 もっとロジカルに責任を持って、女性の役に立つ活動をしてほしいものです。

②沖縄県民を侮辱している。
 していません。
 沖縄は大きな負担を背負いながらも、
 日米安保において大きな役割を果たしてくれていることを認めています。
 また「風俗業活用」は米軍の性犯罪から沖縄県民を守るための一案であり、
 アメリカへの皮肉の表現です。

③時代を逆行しようとしている。
 していません。
 当時の実態は恥ずべき状態であり、
 当時のような管理の行き届いていない仕組みは
 現代では許されないと述べています。
 その恥ずべきことを日本だけでなく、世界中が行っていました。

④性的欲求は個人の責任で抑制するべき。
 できる人はできる。できない人はできない。
 軍人1万人がいて、9999人が良識を守れたとしても、
 1人が性犯罪を犯せば大問題になります。
 生命に関わる緊張状態は種の保存の原理により、
 性欲増大につながります。
 それだけでなく、戦時下も含め、占領地に駐留する軍人は、
 占領地の現地人を侮蔑したり敵対視しやすく、
 また自国の法律の影響力から解放されているような錯覚を受けやすく、
 さらに秩序を無視して殺人、強盗、レイプなどを実行しうる
 武力を保持している環境にあるという、これらの条件により、
 犯罪を犯すリスクが一般人よりも高まります。
 組織を束ねる責任者には、そのリスクを減少させる方策を立案する責務があります。
 気合いで性欲を抑えろと指導するマネジメントや
 厳しく指導しますと言うマネジメントは前近代的で、最低のマネジメントです。
 リスクに対してメカニズムを分析し、そのメカニズムに対して対策を講じることで、
 0.01%で起こるものを0.001%にしようとするのが現代のリスクマネジメントの常識です。
 これが理解できない軍司令官、政治家、経営者、医療関係者は失格です。


なぜ性について語ろうとすると、このような思考の誤謬が起きやすいのか。
(私の興味はこれまでの話よりも、ここにあります)
多くの人々に一様に非合理な言動が見受けられた場合、
その裏には心理学的な原理が隠されていることがしばしばあります。
私なりには次のようなことではないかと思います。

一つは道徳教育にあるでしょう。
性対象は特定の異性に限定しなければならない、
性行為は正常な方法で行わなければならない、
性を商売にしてはならない、
といった教育は、社会の性的秩序を守る為に必要です。(特に子供に対して)
しかし、合法的であるならば、良識ある者が自らの秩序の中で、
こうした教えを逸脱しても問題はありません。
その一方で、教条的に道徳を振りかざす者は、
その行動によって簡単に正義の側に立つことができ、
それによって優越感を得ています。
また、道徳に従うことが多数派であり、
その道徳を活用することで正義の代弁者を演じることが出来る為、
政治家にとって利用しやすいのです。
橋本さんは「僕は建前よりも実をとる政治家だ」というが、
多くの政治家は「実よりも建前(票)を取る」。
票を取るのが目的ならば、統計学に従うべきで
後者が正しいことになります。
政治家がどの程度意識的に上述のような行動選択をしているかは不明ですが。

他方、性に関する若干常識を超えた意見に対する
人々の過剰なまでの拒絶や批判といった反応からすると、
次のようなことも考えられます。
人間は、生殖のプロセスに異常があると他者から認識された場合、
生物として欠落していると看做される恐れがあり、
それは種の保存の上で大きなマイナスになる為、
無意識的な防衛体制に入るのではないかと考えます。
典型的な例としては、
ヘテロの男性がゲイと誤認されそうになると、
慌てて訂正しようとします。
ゲイと誤認されれば、女性が遠ざかり、
生殖の機会を失い、種の保存が困難になる為です。
非合理な批判によって、今回の議論から逃避しようとする
政治家やインテリぶった評論家やタレントを目にすると、
無意識的な生命の足掻きのようなものが垣間見えた瞬間だなと、
興味深く見入ってしまうのです。

以上は誰かの意見に賛同したり、批判したりして
議論に加わりたい訳ではありません。
橋本さんと橋本さんを批判する人たちの主張を比較した際に、
合理性の有無という点で、両者間に明らかなコントラストが
発生しているということを切り口に、
いろいろと考えを廻らせたというものです。