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2015年2月8日日曜日

教育の構造的改革 ~問題解決の為のある構想~

1.問題点まとめ

前回記した、日本の教育における構造的問題についてまとめる。


①教育の陳腐化
  • 社会は学歴を求めるが、学歴では実社会で必要な能力を測れないというギャップが生じている。
  • 教育課程で実践的な能力を身に着けることができない

②政府の教育投資の不備
  • 政府の教育投資は幼少段階高等教育段階足りておらず、個人が大きな負担を背負っている。
  • 政府の施策は、カリキュラムにコミットすることと、金銭的な支援くらいで、教育を取り巻く日本の社会構造自体に変化を及ぼすような改革は期待できなさそう

③教育コストの高騰
  • 教育コストが少子化の最大の要因である。
  • 親の教育への投資能力の差により、教育の質の格差、ひいては経済的格差が生まれている。


2.一つの提案


教育を取り巻くこれらの問題を根本的な解決のためには、社会構造そのものから見直さなければならない。

生命の社会化』のページで少しふれたが、国が子供を引き取り教育のコスト・質の保証を行わなければならないのではないかと考え、下記のような仕様の「国立教育センター(仮)」を構想してみた。

A.生活
  • 子供が生まれたら「国立教育センター(仮)」に預け、育児・教育を全て託す。
  • 子供は基本的に施設で生活するが、親とは自由に面会したり、ネットワークを介してコミュニケーションをとることができる。

B.カリキュラム
  • 心の発達において重要な時期である幼児期には、心理学的に適切な母性・父性、刺激、体験を与える。(学術的に正しく、バラつきのない方法に基づくことが重要。一般家庭でもこの段階で失敗しているケースが多く見受けられ、これは子供本人にも社会にも多大な損害を与える)
  • 基本的な教育方針は、全ての日本人をグローバル社会で活躍でき、事業を起こす能力をもつ人材とすること。
  • 英語、プレゼン力、経営学、ICTは必須。さらに、ロジカルシンキング、心理学も学ぶと望ましい。教育の後期には、実践的な職務遂行能力、組織運営・経営のノウハウを実地で学ぶ。
  • 基本的な教育カリキュラムは行政の綿密なプログラムに従って作成され、実行される。
  • 教育方針には、ある程度の選択肢があり、本人や親が選ぶことができる。
  • 親が育成により強く介入したい場合は、後述する「子ども債」を購入することで、オーナーシップを向上させ、教育にオプションをつけるなど、口を出すことができる。
  • 大学相当の教育まで実施の上、就職・起業支援まで行う。




 C.教育コスト

 この仕組みを運営するには莫大な資金が必要である。税金だけでは賄えない。そこで、下記のような仕組みを考えた。

  • コストは国が一旦負担する。国が債権者として債権を保有し、子供本人が債務を負う。
  • この債権を「子ども債」と名付ける。(日本社会は、子どもを中心に物事を考える為、既存の国債とは別に取り扱う方が資金を集めることができると思う)
  • この「子ども債」は、親だけでなく他人も購入することができる。
  • 本人が仕事を始め所得が発生するようになったら、所得税で債務を返済する
  • 返済し終わったら、税率が下がる。
  • 引き続き支払い続ける税は、債券保有者への配当や次世代のために使われる(貸し倒れもこれで充当)。次世代に負の遺産は残さない。
副次的効果として、親も自分のキャリアや自己実現を諦 めなくて済む効果がある。子供が生まれると、その時点から保守的な人生を歩まねばならないと考えてしまう傾向がある。しかし、子供を産んでも膨大なコスト を支払う必要もなく、教育方針に悩まされることもないのであれば、人の親になっても個人として生きることができる。逆に言えば、子供を理由に挑戦しないと いう選択は出来なくなる。




   
 この手法は、「子供と教育は未来への投資」であるという考えに基づく。これは綺麗ごとでも何でもない。子供を産むことは、会社に例えれば、「新事 業の立ち上げ」であり、教育はその事業へのリソース投入やコンサルティングに当たる。新事業を上手く成長させることができれば、新たな収益の柱となり、即ち家族を支える存在となる。
 しかし、今の日本は十分な資本を持つ者でなければ、「子供」という新事業を立ち上げることはできない(資本がなければ、その名の通り「問題児」の事業になる)。
 この状態に対するブレイクスルーは、「ベンチャー・キャピタル」や「クラウドファンディング」である。つまり、子供への投資をオープンに募るのだ。
 同時に、債権者は教育に対して強くコミットし、子供を稼げる人材に成長させようという力が働く。債権者の意思を汲み、教育を改善するのが、子供を親から買収した「国立教育センター(仮)」である。

 最近流行のピケティによれば、日本の所得上位10%の人々の資産が日本の総資産に占める割合は、48.5%にも達する(欧米に比べればまだマシだが…)。つまり、日本の富の半分は上位10%お金持ちが独占している。そのだぶついた 富が向かう先は金融商品あるいは不動産である。
 この投資の流れを少しでも、次世代の「人」へ向ける為に、上述の「子ども債」のようなものが必要ではないか。格差の是正方法は、お金持ちから収奪することだけではないと信じている。但し、投資である以上、一定の利回りを期待できるものにしなければ、投資家の目を引くことは出来ない。
 次世代の「人」に投資すればするほど投資家が儲かり、日本社会の教育格差そして経済的格差が是正される。そんなシステムになるのではないだろうか。
 



教育の構造的改革 ~教育の構造的問題~

1.背景

 一般論だが、多くの人は、他の子供と自分の子供を差別化し社会的に優位な地位に立たせたいと考える。日本において個人の優位性を示すには、アイデンティティ を示すのではなく、社会で共有されている指標に対して、自分がどれくらいのレベルであるか示すことが重視される。その指標の典型が「学歴」となっているの が現状だ。
 教育の本来の目的は、社会の中で大きな価値を生み出せるようになること、世界を知り人生の選択肢を狭めないこと、学びの習慣を身に着けること、精神的な成長を促進し心を豊かにすること、といったことだろう。

  教育コストと格差の問題もある。高額なコストを支払えば、有名私大付属の幼稚園や小学校に入れることができる。そうして受験のストレスを回避しつつ、社会 的地位の保証を購入することができる。私立校は集まった資金で教育の質を高め、またそこに人とカネが集まるという循環ができる。
  一方、多額のコストを支払うことができない家庭の子は、公立校の貧弱な教育を受けることになる。有名な大学に入るためには、学校外の教育サービス(塾な ど)を利用して勉強することになる。近年ネットを活用した教育サービスが増加し、教育が民主化されつつあるが、ここでも相応のコストが必要になる。

 そもそも、教育が学歴を得るためのもの、テストの点数を取るためのものに成り果てており、自己目的化している。点数稼ぎの教育は唯の記憶行為であり、学びではない。教育に多大な時間とコストを費やした筈なのに、教育課程で学ぶ事柄と実社会で求められる能力には乖離がある為、社会に出ても何の役にも立たない。
 教育は国家の戦力となる人材を育てるという社会的な側面もあるが、それだけではなく、個人が「知」という武器を手に入れ、出自や性別などに関わらず行動や職業を選択できるようするものだった筈だ。


2.家計の教育支出

文部科学省のホームページによれば、下記の通りだ。


  • 大学卒業までにかかる平均的な教育費は、全て国公立でも約1,000万円、全て私学だと約2,300万円に上る。
  • 子供1人が大学生になった段階での家計の貯蓄率は、-10.4%である。(負債を負っている)
  • アンケートによれば、教育費の高さは少子化の最も大きな要因の一つ。


 文部科学省は予算が欲しいため、家計に教育の負担をかけすぎているとアピールしたい面もあるだろうが、この内容は一般の感覚とそれほどかけ離れていないだろう。

 3.教育への政府の投資
  政府も何もしていないわけではないが、教育への投資は量的に十分だろうか。それは正しい方向に向けられているだろうか。
 次の図は、日本のGDP比の対高齢者向け支出と対家族・子供向け支出を「1」として、他のoecd加盟国と比較したものである。超高齢化の日本とそうでない国を正しく比較する為、少子高齢化の影響を調整してある。






  図中の点線より左の国は日本以上に高齢者に支出しており、右の国は日本よりも次世代のために多く支出していることになる。日本よりも高齢者に多くの支出を費やしている国は、アメリカと韓国しかない。
  多数決の原理に従う民主主義の下では、与党・政府は若者世代ではなく、高齢者に耳を傾けざるを得ない状況であることが読み取れる。政治家自身が中高年であ ることも高齢者への共感を過度に高めている可能性もある。また、世界的に見ても日本人は投資が下手であるということも影響しているかもしれない。
 日本以上に苛烈な受験戦争と学歴格差が生まれ、少子化が進んでいる韓国が、このような結果になっているのは納得できる気がする。恋愛・結婚・出産を放棄しなければならない今の韓国の若者は、一部では「三放世代」と呼ばれている。若者世代への支出が少ないことも影響していそうだ。(そもそも全ての国民に対する支出規模が小さい、国民に厳しい国であることも読み取れる。現状は、政治に失敗している韓国政府への国民のフラストレーションを日本が請け負っている側面もある)
 日本は韓国を反面教師にしなければならない。



日本政府の教育白書もざっと目を通してみた。

「学びのセーフティネット構築」という言葉から、どのような貧困家庭でも、高度な教育が受けられるようにする仕組みなのかと期待した。しかし、金銭的な支援と防災の話に終始しており、全ての人が高いレベルの教育を受けられるインフラを整備する構想ではない。あくまでも、ハコモノに軸足を置いたものだ。

各教育段階のどこに投資が不足しているかは、このサイトがよくまとまっている。簡単にまとめると、下記の通りだ。

  • 義務教育以前と高等教育の段階で投資が足りていない。(小中学校は足りている)
  • 不利な経済状況にある家庭の児童は小学校入学時点で既に、豊かな家庭出身の児童に学力差をつけられている。
  • それがその後の低学力・低学歴へとつながり、大人になって再び不利な社会経済状況に立たされる
  • 貧困の連鎖を断ち切る事を考えた場合、就学前教育は非常に重要になってくる。


次回は、教育に関するこれらの構造的問題に対処する為の私の考えをまとめる。


生命の社会化シリーズまとめ



生命の社会化 ~子供は社会が育てるもの~

 日本でパックスや事実婚を広め、気軽に子供を産めるようにするのもいいのだが、夫婦間の拘束力が弱まるため必然的に片親の子供が増加することが予想される(フランスの婚姻とパックスと事実婚の離婚率の統計があればよかったが、探し出すことができなかった)。
 どのような家庭でも一定水準の養育・教育を享受できるシステム(セーフティネット)がなければ、いたずらに貧困家庭を増やすことになってしまうだろう。堅牢な婚姻制度は、「育児システムとしての家族」の形状を安定させるための装置でもあるのだ。

  昔のように祖父母が育児に協力してくれれば、若い夫婦がガンガン働いて稼ぐことができるのだが、祖父母が協力してくれない、あるいは、そのような環境にないほとんどの核家族は、特に母親が育児に体力と時間を費やしてしまい、まともに働くことは出来ない。行政サービスはキャパシティオーバーだし、民間サービスは高額である。核家族は、生産性の高い若いうちに、資産を増やすことができず、運が悪ければ高コストな民間サービスに頼らなければならない。祖父母が育児に参加するかどうかで、大きな格差が生まれるのである。
 社会的には、父母だけが「働け。そして育児もしろ!」と責め立てられがちだが、一族の資産を増やしたければ祖父母も育児に参加すべきということを、高齢者たちには自覚してほしいし、祖父母に子を託すことに遠慮は要らないという社会的な共通認識が醸成されるべきだと思う

  しかし、現実的な問題として、物理的な距離の問題や、人間関係の問題で、祖父母と協力しながら育児のできない夫婦も多く存在する。都市部に住んでいる夫婦が、田舎から祖父母を呼び寄せるなど考えにくい。普通は一緒に住みたくないし、祖父母の住宅を別に用意する金銭的な余裕はない。

 ならば、「子供は社会で育てる」という認識の下で、国家的に養育・教育システムを組むことはできないだろうか。簡単に言えば、国が子供を完全に引き取って、養育・教育するのだ。そうすれば、親の責任や金銭的負担を軽減させることができる。更には、そもそも婚姻に頼らずとも子供を作りやすい社会になるのではないだろうか。
 考え方を下図に示す。





 悪く言えば、国が親から子供を取り上げてしまっているようだが、良く言えば、日本人として生まれた生命を漏れなく社会全体で支えるおせっかいなほど手厚いシステムと言える。
 昔は、コミュニティ全体で子供の面倒を見ていたとよく言うが、その延長として捉えてもらいたい。『日本村』といった風情だ。
 ここまでドラスティックな政策を打ち出せば、国民のマインドは変化し、安心して子供を産める国になるのではないか。この仕組みの詳細は別のページで説明する。


生命の社会化 ~結婚の常識を壊したフランス~


男女の在り方や結婚の形態については、もっと選択肢を広げるべきである。
フランスでは結婚には3つの形態がある


  1. 日本のように婚姻関係を結ぶこと。
  2. パックス(PACS:連帯市民協約)という、1999年に開始された、2人の個人間で安定した持続的共同生活を営むために交わされる契約。
  3. ユニオン・リーブルという婚姻関係もパックスも結ばない、法的手続きを踏まないつながりを持つこと。オランド大統領とファーストレディの関係はユニオン・リーブルである。

婚姻の種類の全体の割合は下記の通り。
  1.  婚姻関係:2320万人(全体の73.1%)
  2.  パックス:138万人(4.3%)
  3.  ユニオン・リーブル:717万人(22.6%)
(仏国立統計経済研究所調べ;2011年時点)参考

 しかし、最近の単年でみると、パックス婚が急速に増加している。
 2008年の婚姻件数は27万3500件であったのに対し、パックス婚は14万6千件に達したのである。

 婚姻とパックスの大きな違いは、婚姻関係における離婚は裁判官による審理が必要となるが、パックスは両者の同意は必要なく簡単に契約破棄できる点にある。また、パックスは同性間でも可能である。
  個人が多様であるように、人と人との関係もまた多様であるはずで、日本においても外面は同じ婚姻でも、夫婦の関係性は様々だろう。私自身の婚姻も、概念的にはパックス婚に近い。どちらかが離婚したければしてもよいし、子作りのための関係でもない。他の異性と交際することを制限しないことにもなっている。かといって、お互いに性的欲求がそれほど高くないため、その権利を行使することは今後もないだろう。このように、共同生活をし社会的な優遇を受けつつも、個人や自由を尊重する男女関係も存在しうる(我が家がちょっと特殊なのかもしれないが)。日本には、旧来的な婚姻制度しかないため、それに頼るしかないのだ。

  パックス婚自体の考え方も参考になるが、古い婚姻の概念を残しつつ、現実の問題を解決するために新しい選択肢を作ってしまうという手法自体も日本は参考にできるだろう。
 特にフランスは、カトリック系の宗教をこじらせたやっかいなタイプの保守派が存在する。そうした保守や頭の固いお年寄りにも受け入れられる新しい社会制度を作ろうとした場合、この考え方は重要だった。古いシステムを派手に破壊するのではなく、古く形骸化したシステムと新しい有効なシステムを並列させ、じわじわと古い方を無意味化していくのだ。

  婚姻の概念を変化させるには、これまでの道徳を疑うような価値観の転換が必要だ。我が家の婚姻の概念について他者に話をすると「他の異性と交際することを制限しない」という部分にとりわけ不快感を示す人が多い。これは、配偶者が別の異性と交わることを、異性を独占したい動物的な本能が拒んでいるためだろう。 また、特定の人間が複数の異性を独占することは、男女受給のアンバランスが起きてしまうという考えが働き、それが性的な道徳へと変換され、男女一対の美徳 や不貞への憎悪を生み出していると考えられる。このような、感情や道徳の壁を乗り越えなければ、日本における現在の価値観、ひいては現状の婚姻制度に楔を打ち込むことはできないだろう。 
 フランスの婚姻制度の底流にはおそらくカトリックの保守的な思想が流れており、それがあまりにも深刻で重たすぎるものになっており、結婚も離婚もひどく面倒 である。そのため、現代のフランスの若者にとっては受け入れ難いものになってしまった。
 それに比して、日本は結婚も離婚も紙切れ一枚あれば済んでしまう。 集団主義の日本において婚姻制度を重たいものとしているのは、専ら「世間の目」を気にしすぎる点にある。この「世間の目」を柔らかくするためにも、婚姻に対する価値観を日本全体で変えなければならないのだ。

 そもそも現代日本の結婚観は、明治時代に欧州からもたらされたものだ(参考:人類婚姻史)。当の欧州が結婚の概念を見直し始めているのに、日本は彼らからプレゼントされたものをいつまでも大事にしている。結婚観にしても、憲法にしても、物持ちがいいと言うべきか、慎ましいと言うべきか…。
 男女一対の美徳、婚姻と出産の癒着といった観念を緩めれば、採集部族としての日本人が、縄文から明治にかけて行ってきた男女複数同士の緩やかなつながりの中で子供を作る種族保存方法に近づくことになる。その方が、日本人には合っているのではないだろうか。私たちは過去に戻ることは出来ないが、新たな方法で日本人に適合する種族保存方法を見出していく必要があるように思える。


生命の社会化 ~この世に生命が産まれるのに越えなければならないハードル~

  少子高齢化が進み、日本は団塊の世代が要介護者となる最も苦しい時代を迎えようとしている。人口を増やすべきかどうかの議論は別にあるとしても、各世代の 人口のアンバランスを少しでも解消し、傷口を広げないためにも、これ以上の少子化は食い止めなければならない。他に解決策があればよいのだが、現実的なアプローチとしては子供を増やすしかないのが現状である。
 子供を作り、育てるということについて、変化させるべき一般的な共通認識とどのように変化させるべきかについて、私なりの考えを下記に記した。

●現状の共通認識:
 ・子供は実の親が育てなければならない
 ・婚姻制度をベースとした子供しか認めない

●持つべき認識:
 ・子供は社会が育てる
 ・婚姻制度ベースの子供じゃなくても認める


■1.日本に生命が産まれるまでのハードル


 さて、子供を作ろうとすると、まず結婚をしないと、世間から冷たい目で見られ、行政や会社からの優遇措置も受けられない

 じゃあ、結婚をしようかと思うと、現在の婚姻制度は、心理的にもコスト的にも非常にハードルが高い。相手を探す作業や、さらに結婚の前段階である恋愛作業には、時間とお金が非常にかかる
 いざ結婚をしようと思っても、高い教育コストを支払って子供を有名大学に入れなければ、無残な社会的地位に落ちてしまう。そんな収入が2人にはあるのだろうかと不安になる。自分の子供が惨めな思いをするくらいなら、作らない方がよいし、子供を作らない結婚などしない方がよいとさえ考える。
 良い住環境を手に入れるにも、膨大な資金が必要である。
 また、一度結婚してしまうと、離婚したくても両者の同意がなければできないし、離婚もまた世間からの冷たい目があるため、一生を添い遂げる重大な覚悟で結婚しなければならない。

 こんなハードルがあっては、子供など作れるわけがない。余程の資産家か、半ば自暴自棄になった人でなければ。
  オジサン・ジイサン連中と飲みに行くと必ず、「結婚は? 子供はいる?」と聞かれる。私が「既婚で、子供はいない」と答えると、子供が欲しいとも言ってい ないのに、「大丈夫、子供なんて作っちまえば何とかなる」と返ってくるのである。社会保障を勝ち逃げできる世代はこの発想でよかった。今は状況が異なる。



■2.婚外子を認める世界の国々

 フランスをはじめとする少子化対策を成功させた国々が実施したことは、婚外子を社会的に認めることであった。

世界各国の婚外子の割合

 スウェーデンやフランスの婚外子が50%を超えているのに対し、日本は2%台である。日本もそろそろ婚外子を社会的に認めていくべきではないかという議論が一部で始まっている。
 フランスは婚外子を認める社会にするために、結婚の概念も多様化させた。


 次回は、結婚の概念を見つめ直す為にも、フランスの婚姻制度の事例を取り上げてみる。