2014年10月14日火曜日

『イスラム国』に集結する若者の心理

 イスラム国(ISIL)に世界中から義勇兵が加わりつつある。
 CIAはその戦力を2万から3.15万人と見込んでおり、そのうちの約1割が外国人である。
 イギリスから500名、ドイツから400名が参加しているとみられており、日本においても先日、学生がイスラム国への参加を試みたとして警察から事情聴取されたが、軍事評論家の田母神氏によれば、既に9名の日本人がイスラム国に参加しているという。

 これらの外国人は、必ずしもイスラム教や中東情勢に興味があるわけではないらしい。イスラム過激派に加わる者は、不遇な生活環境や家庭的に恵まれない若者が多かったとされるが、現在は中流・富裕層も多くいるとされる。

何故、彼らは戦場に身を置きたがるのか。ヒントはいくつかある。

・事情聴取を受けた大学生の発言(参考
「日本での社会的な地位などに価値を見い出せなくなってシリアに行きたいと思い、大学などすべての生活を投げ捨ててきた。イスラム教については、宗教を勉強している中で少し学んだ程度で、シリアなど中東情勢についてもあまり知らないが、戦場など特異なものに興味があり、感じてみたいと思った。『イスラム国』が発信する教えに共鳴したわけではなく、そうした宗教の考えのもとの国があったら、おもしろいだろうなと思った。戦場で自分が死ぬことは大した問題ではないと思う。」
「義勇兵になれないなら自殺する」

・シリア反政府組織に参加した元自衛官、鵜澤佳史氏(参考
「小学校の時に、いじめに遭いまして。生と死の極限状況に身を置けば、自分の生きる意味が違った視点から見られるかなと。」

これらから推測されるのは、下記3点のような心理だろう。

(1)自殺行為の代替(=自我の破綻)
 自分とこの世界が相容れないのなら、死ぬしかない。
 しかし、自分で自分を殺すこともできない。
 死の匂いのする処へ行きたい。リスクに身を晒したい。

(2)自己と相容れない外的世界に対する復讐(=自我の適応失敗)
 この世界は自分を認めてくれない。自分を必要としていない。
 自分の存在を脅かす。
 だから、身の回りの主流社会とは異なる立場に身を置き、対決しなければ、
 自分は生きられない。
 (例:勉強が出来ることを善とする学校は、勉強のできない自分の価値を認めない。
    だから「不良」になって、秩序を否定し反抗しなければ、自分の存在が消えてしまう。)

(3)暴力を執行する側に立てるという強烈な自己効力感の追求(=自我肥大)
 武力組織に加わり、自分が武器を手にすることで、
 世界に恐怖を与えることが出来る。
 自分はなんて強いのだろう。自分は無力などではない。
 外界への影響力持つことが出来る。
 そうして、世界と繋がることが出来る。
 (一部の富豪がイスラム国に投資しているとのことだが、
  彼らはこのカテゴリーに属するだろう)

 (1)~(3)のどれか一つであったり、複数が綯い交ぜになった状態だろう。
これは、多くの自我が未発達な時期の若者や主流社会からあぶれた者たちが、
多かれ少なかれ抱く感情である。
軽度なものであれば、普通の人にも日常的に湧きおこる感情だ。
就職面接に失敗したら、(1)か(2)に近い心理的状況に陥るのも自然である。

 こうした者が生まれるのは、人類が社会的な生活を営んでいる以上防ぐことのできない、普遍的な現象と言ってよいだろう。
 人間が画期的な思想を見出し、ユートピア的な世界を創造しない限り、過去も、現在も、未来もずっと同じことが繰り返される。全ての人が平等に幸福な時代がやって来るまでは……。

 以前はこうしたはみ出し者たちの一部は、ヤクザが受け入れていた。
現代はあらゆるものがグローバル化しており、イスラム国もグローバル化したヤクザという見方ができる。
 正規の軍隊や、脱退するのに指を切り落とさなければならないヤクザに比べ、手軽に本格的な武力集団に参加できるのだから、イスラム国は社会から弾かれた者たちにとって垂涎の選択肢なのだ。
 寧ろ、他に選択肢が無い。正に、「イスラム国に入れなければ死ぬしかない」なのだ。

 もっとも、実際戦闘経験の無い外国人がISILに入ったところで、雑用係を任されるか、訳も分からず前線に送り込まれて命を落とすことになる公算が高い。



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