2015年11月7日土曜日

『猫付きマンション』 ~猫との暮らしに変化~



 本来、猫を飼う場合、特定の猫を里親会やペットショップから譲渡され、その後はえさやり、トイレの世話など日常のケアをしながら、一生面倒をみるのが常識だった。
 しかし、私たちの猫との暮らし方に変化をもたらす可能性のあるサービスが生まれてる。それは、『猫付マンション』と呼ばれるものだ。
 これは、NPO法人『東京キャットガーディアン』が賃貸マンションのオーナーと提携し、『猫付きマンション』として入居者を募るという企画で、システムは以下の通り。


■猫付マンションとは
  • 賃貸契約と、同時に『猫の生体貸与契約書』を交わす。
  • 契約者に里親の適性があるか『東京キャットガーディアン』の担当者が面接審査を行う。(ちなみに、合格率は現在60%程度という)
  • その審査を合格した後に、シェルターで数多くの猫たちの中から一匹選ぶ。これで、晴れて猫との暮らしをスタートできる。
  • 引っ越す場合は、猫を返却することになる。但し、愛着が湧いてしまった場合は、“貸与契約”から“譲渡契約”に切り替えることも可能。

 『猫付マンション』というネーミングから、物件に自動的に猫が付いてくると誤解しがちだが、“猫をレンタルできる物件”というわけだ。
  なぜこのようなことができるのか。猫の保護団体や活動家は、これまで自分で借りたの施設や自宅で猫を保護し、里親を探していた。しかし、現状は慢性的な キャパシティ不足で、結果的に保護しきれずに殺処分になってしまう猫が多く存在する(下図)。(※保護団体が直接殺処分しているという意味ではない)


それに対して、猫付マンションの概念は下図のように、猫を保護する場を一般の賃貸マンションにまで広げ、キャパシティを増加させることができるのだ。



■猫との暮らしに立ちはだかる障害

 ペットを飼うということは、生命を背負うことであり、重い責任を負うことになる。しかし、人の人生である以上、突然の転勤、失業、入院、あるいは死亡などの事情によって、その責任が背負い きれなくなることもある。
それでも世間には、「一度引き取ったのなら、人生を擲ってでも最期まで面倒を見るべきだ」という非情なまでに厳しい意見が多くを占めているように思われる。 そうした声にさらされた時、追いつめられた一部の飼い主は、猫を捨てたり、殺処分したりするという決断をしてしまう。これは、猫にとっても、飼い主にとっても悲劇であり、一方的に飼い主を責め立てたところで何の解決にもならない。

 殊にペットのこととなると「情動」や「モラル」といった曖昧なものをより所としてしまう傾向があるが、この社会的な問題の解決に必要なのは「システム」だ。少なくともこの「猫付マンション」というシステムを活用していれば、上述のような悲劇は未然に防がれるだろう。

 また、“猫を飼ってみたい”と思っているけれども、その重い責任と猫を飼うことのハードルの高さゆえに、リスクを回避してきた人が少なからず存在するのは間違いないだろう。そんな潜在ニーズにも応えることができるのだ。
ているけれども、その重い責任と猫を飼うことのハードルの高さゆえに、リスクを回避してきた人が少なからず存在するのは間違いないだろう。そんな潜在ニーズにも応えることができるのだ。


“ライトオーナー化”が猫との暮らしに変化をもたらす?

  このサービスが成功するかどうかはまだ分からない。多くの改善を積み重ねることになるだろう。ただ、猫の所有に関する新しいモデルを社会に提示しているという、意義深さには疑う余地はない。ペットを飼うことの重い責任やリスクを多くの人や団体でシェアすることで、より安心して動物と暮らせるようになるとい う社会インフラを発明したのだ。これはペットの“ライトオーナー化”とでも言えるだろう。
 
 今後、『猫付マンション』に留まらず、猫と人との共生は“ライトオーナー化”へ向かい、様々なビジネスが台頭するのではないだろうか。そしていくつもの新たな問題に直面しながらも解決の道を模索し続け、それらのサービスの質が競争の中で向上していけば、猫と人との共生の在り様もより良いものへ変化していくだろう。
 そんな未来を想い、期待を抱く今日この頃。


2015年4月3日金曜日

終わらない不毛なベビーカー論争 ~暴走族とママ友集団の類似性~

最近のバズりネタの筆頭に「ベビーカー論争」があります。

清少納言もよその母親に苦言を呈していたくらいで、日本文化は昔から変わっていないようです。
 よく言えば、「他人の子育てを気に掛ける文化」なのでしょう。


■ 終わりのない論争

いつまでも終わりが見えないこの論争。大体、下記のようなことが繰り返されています。

ベビーカーママ「国土交通省がベビーカーをたたまずに電車に乗ってもいいって言ってんだけど?」
ベビーカー邪魔派「それでも、周囲に配慮するのは常識でしょ?それに、満員電車にベビーカーは物理的に無理」

ベビーカーママ「ベビーカーがないと重いんだけど?」
ベビーカー邪魔派「長時間じゃなければ我慢できるでしょ?それに何をそんなに出掛けることがあるの?」
ベビーカーママ「買い物。109とか行きたいときもあるじゃん。」

ベビーカー邪魔派「ベビーシッターは使わないの?」 
ベビーカーママ「そんなお金ない」

 ベビーカー邪魔派「ママ友と称する人たちはなぜベビーカーで群れるの?」 
ベビーカーママ「みんなと一緒だと楽しいから」 
ベビーカー邪魔派「ママ友はなぜ群れると、周囲への配慮がなくなるの?道を塞いだり、人の足を踏んづけたり」
 ベビーカーママ「そんなの一部の人だけでしょ? ところで、子連れなのに何でみんな席譲ってくれないの?」
 ベビーカー邪魔派「どうしても辛いなら、譲ってくださいって頼めば譲ってくれるよ」 
ベビーカーママ「少子化の中、産んでやってるのに、自分から譲ってくれないんだね」 

3/30の「TVタックル」で、「元カリスマギャルママモデル 日菜あこ vs 日本子守唄協会理事長 西舘好子」のベビーカー論争が放映されていましたが、結論がもやもやしたまま終了してしまいました。
日菜あこさんは、ベビーカーを引いていると白い目で見られるので、こっちも目つきが悪くなるといった趣旨の発言をしていました。 これは、母としての本能的な攻撃性が垣間見える言葉で、社会と母親の軋轢が深まっている原因の一つでしょう。母親が、逆切れや開き直りをするとますます問題が拗れます。



■ パワーを誇示するツールとしての子 

生殖本能の一部として男性は、例えば最も端的な方法として、車の車体の大きさやバイクのスピード感等によって力強さ、すなわちパワーを誇示しようとする行動がよく表れます。また、それ以上に経済力のアピールという形でパワーの誇示がよく行われます。
一方、女性は、子供を連れて歩き、周囲に見せることで、生殖能力というパワーを誇示しようとします。 そして、女性としての有能感と種族保存への貢献という意味でのヒロイズムに酔うのです。

現代日本画家、松井冬子さんの絵はこの現象をよく表していると思います。
  浄相の持続 
自らの腹を裂き、女性の象徴である子宮を誇示する女性

 ベビーカー以外にも、車のステッカーや写真を見せるあるいは、事あるごとに「子供がいるから心配」等と発言する方法で、子供の存在をアピールする姿がよく見受けられます。(意味と目的が明確な場合は別ですが)

本能に従順なタイプの人ほど、この種の言動が現れやすいように見受けられます。


暴走族とママ友集団の行動原理は、集団の形成、パワーの誇示、周囲への無配慮という点で類似していると常々思っていました。

勿論、ママ友集団が皆無法者ということではなくて、本能的な働きを意識して抑制しなければ、そうなりやすいということです。
 



不毛なベビーカー論争を終わらせるための3つの方向性クソキュレーションサイト風に) 

1.母親は自らのエゴで子供を連れ回さない
 欧米では、子供は未発達な人間であり、社会に迷惑を掛ける可能性のある存在であると認識され、無闇に連れて歩くことはしません。
  • 自分の趣味のために子供を連れて長時間電車に乗ることは無謀。母親は、子供を連れ回したくなる心理はどこからくるのかを自覚すべき。 
  • 買い物は、できるだけネットで済ませる。今時、生鮮食品ですらネットで購入できます。 

2.社会は母と子を引き剥がすべき
 日本文化にも問題があり、保守的な人は「母親は常に子供に寄り添っているべき」とする母子密着の思想を押し付けようとしますが、この思想は現代にそぐわないものとなっています。(参考:子供は社会が育てるもの
  • 親、親類、知人を最大限活用する。頼まれた方も協力する。
  • それが不可能な場合も多いので、社会の側はママ友サイト等のサービスを充実させる必要がある。(まだまだ不足しているようです…)

3.社会ルールを明確にする
 曖昧なルールに従う人はいませんが、明確な意味のあるルールについては尊重するのが日本人です。
  • 公共の場でのベビーカー使用法を明確化し、利用者も周囲も理解する
  • 妊婦・子連れ専用車両を作る


ここまで書いてきましたが、多くのベビーカー利用者はマナーを守っているのでしょう。
つまるところ、「マナーの悪い人はどこにでもいて、その人が偶々ベビーカーを引いていた」というのが現実なのではないでしょうか。
 子供を盾にされると注意しにくい為、ネットで炎上しやすい話題となっているようです。


-Ending Music-




2015年3月22日日曜日

愛猫が与える脳への影響 ~オキシトシンの効果~



 猫好きの人であれば誰しも体験したことがあるであろう、猫との触れ合いで安心感や幸福感を覚えるあの感覚。
 この時、人間の脳の中で何が起こっているのだろうか。それは「オキシトシン」という脳内物質で説明できそうだ。

1.オキシトシンとは
 オキシトシンとは、脳の下垂体から分泌されるホルモンの一種である。 オキシトシンは、出産時の子宮筋収縮や授乳時の乳汁分泌を促進するホルモンとして知られている。


2.オキシトシンはどんなときに分泌される?
 親と子供が触れ合うことで、親子双方にオキシトシンが分泌される。また 親友や恋人との触れ合いでもオキシトシンは分泌される。
 オキシトシンは飼育しているペットと触れ合うことでも分泌されることが分かっている。人がペットを優しくなでたり、触れたりすることで人と動物双方にオキシトシンが分泌される。
 オキシトシンが分泌されると幸福感が生まれるので、人はまた同じようにペットに優しくでき、
   「接触」⇒「幸福感」⇒「もっと接触したい」
 という好循環が生まれる。

3.オキシトシンの効能
 主なオキシトシンの効果は下記の4点である。
  ①人と人とを結びつける効果
  ②信頼感を高める効果
  ③愛情を深める効果
  ④安心感を生む効果

 さらに、オキシトシンで自閉症が改善するという研究報告もあり、オキシトシンそのものが最近注目を集めている。また、オキシトシンは、健常者の子供の学習能力を高めるとも言われている。
 オキシトシンの増大は、不安を軽減させ、人との接触が怖くなくなり、社交性が増すようになる。このことからオキシトシンは、うつ病や人見知りの治療薬としても期待されている。

4.猫との触れ合いでオキシトシンを分泌するコツ
 猫好きであれば、猫と見つめ合うだけでもオキシトシンが分泌されるだろう。
 より多くのオキシトシンを分泌するには、対象の猫を「愛おしい・可愛い・好き」と強く思うことが重要だ。
その猫の「円い目が好き」、「肉球が好き」、「柔らかい毛が好き」、「仕草が好き」といったように、具体的なイメージを持つことも、より深い愛情を湧き立たせるのに効果的だろう。
 また、猫と触れ合っているときに、自分の脳内が「オキシトシン=幸福をもたらす液体」で満たされていくようなイメージをもつのもよいかもしれない。

 ちなみに、私は寝ている愛猫のおなかに顔をうずめるという方法を採用している。柔らかい毛と筋肉を感じながらオキシトシンにまみれるのだ。


2015年3月18日水曜日

意外と知られていない「"マズローの欲求階層説"の6階層目」

 メディアに出てくる学者や、評論家がよ援用する心理学の理論に「マズローの欲求階層説」がある。
 これはアメリカの心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。

■マズローの欲求階層

 欲求の各階層の説明は以下の通り。

1階層.生理的欲求(Physiological needs)
 生命維持のための食事・睡眠・排泄等の本能的・根源的な欲求。
 極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどない。しかし、人間にとってこの欲求しか見られないほどの状況は一般的ではないため、通常の健康な人間は即座に次のレベルである安全の欲求が出現する。

2階層.安全の欲求(Safety needs)
 安全性・経済的安定性・良い健康状態の維持・良い暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
 この欲求が単純な形ではっきり見られるのは、脅威や危険に対する反応をまったく抑制しない幼児である。
 一般的に健康な大人はこの反応を抑制することを教えられている上に、文化的で幸運な者はこの欲求に関して満足を得ている場合が多いので、真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない。

3階層.社会欲求と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
 生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
 自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚、情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚、かつて飢餓状態に置かれていた時には欲することのなかった愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
 不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。

4階層.承認(尊重)の欲求(Esteem)
 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。尊重のレベルには二つある。
 低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。
 高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得 ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。
 この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

5階層.自己実現の欲求(Self-actualization)
 以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。
 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
 これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、以下の15の特徴が見られる。

 1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
 2.自己、他者、自然に対する受容
 3.自発性、単純さ、自然さ
 4.課題中心的
 5.プライバシーの欲求からの超越
 6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
 7.認識が絶えず新鮮である
 8.至高なものに触れる神秘的体験がある
 9.共同社会感情
 10.対人関係において心が広くて深い
 11.民主主義的な性格構造
 12.手段と目的、善悪の判断の区別
 13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
 14.創造性
 15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

 これらのうち、最初の4欲求を欠乏欲求(Deficiency-needs)、最後の1つを存在欲求(Being-needs)としてまとめることもある。マズローは、欠乏欲求と存在欲求とを質的に異なるものと考えた。自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。数多くの人が階 段を踏み外し、これまでその人にとって当然と思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。 
 また、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐性を持つようになる。そして、成長欲求実現のため、欠乏欲求が満たされずとも 活動できるようになるという(ex.一部の宗教者や哲学者、慈善活動家など)。
 晩年には、「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした。この考えが、後のトランスパーソナル心理学の源流ともなる。



■意外と知られていない6階層目

 そして、意外と知られていないが、マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、「自己超越」(self-transcendence)の段階である。 自己超越者(transcenders)の特徴は
  • 「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
  • 「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
  • 統合された意識を持つ
  • 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
  • 深い洞察を得た経験が、今までにある
  • 他者の不幸に罪悪感を抱く
  • 創造的である
  • 謙虚である
  • 聡明である
  • 多視点的な思考ができる
  • 外見は普通である(very normal on the outside)
 マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。


2015年3月9日月曜日

川崎中1殺害事件に見る日本の暗部 ~「カワサキ国」と名乗る"在日軍団"~


 川崎中1殺害事件における論点は様々あります。

1.少年法改正

 18歳を子供とみなすのは、現実とずれている。処罰を軽くするのはおかしい、という指摘。
 これについては、国際社会の状況に倣い選挙権が18歳に引き下げられることに伴い、少年法も改正されるでしょう。
 
2.貧困と教育


 まず、事件が起きた地域の環境を知ってもらう為にも、下の地図を見て頂きたいのですが、これは川崎市立富士見中学校付近のGoogleマップで「風俗」と検索した結果です。



 大通りを挟んで、風俗街が広がっています。このような環境も影響してか、この周辺は外国人が多く住んでおり、この付近の公立学校の子供には、ハーフや在日二世が多いと言われています。 また、近くには競馬場があり、パチンコ店も点在しています。この一帯が、性とギャンブルの街であり、貧困を作りやすい環境であることが何となく想像できるかと思います。

 被害者の少年は身の危険にさらされているというシグナルを出していたのに、なぜ周囲は気付けなかったのかという指摘があります。 被害者の家庭は母子家庭であり、子供5人を抱える貧困家庭でした。母親は早朝から夜遅くまで働きに出ており、殆どまともに子供の面倒を見ることができな かったと、自ら語っています。
 また、貧困は加害者側にも影響を与えているのではないかと思います。これは下記3.とも関連するので、後述します。
 貧困家庭は、怠慢によるネグレクトではなく、否が応にもネグレクト状態になってしまいます。この状態では、高確率で子供の心の発達に問題が発生し、学業にも悪影響が出ます。
(被害者の家族が、なぜ生活保護を受けられなかったのか、という別の疑問もある)

 少し前に流行ったピケティ氏が格差の是正として世界共通の資産への課税が必要だと述べているのは有名ですが、同時に貧しい家庭の子供であっても高等教育を受けられる機会を与えるようにすることが重要だとも述べています。
  また、これに関しては、過去の記事「教育の構造的改革 ~問題解決の為のある構想~」で私の考えを書いています。


3.在日外国人と日本社会の不和
 
 2.で記述した貧困とも関係しますが、川崎中1殺害事件において、罪を犯した少年グループにはハーフや在日二世が多くいたことは各種マスコミでは報じられていないません。
  「移民」は必ずしも成功するとは限らないというのは普遍的な事実です。日本にやって来た外国人が日本社会に上手く溶け込めなかったり、まともな職にありつけなかった場合、外国人同士で互いの身を守ろうとコミュニティを作るのが自然な流れであり、ときにそれが日本社会と在日外国人との溝を更に深めてしまうことがあります(親和的なコミュニティも勿論ありますが)。 子供たちも同様に、よく似た境遇の者たちで寄り集まり、不良グループを形成し、街を徘徊します。ネット掲示板がソースなので信憑性に欠けるかもしれませんが、同中学校の元在校生によれば、日本人グループと在日外国人グループで対立が起きることもあったとのことです。

 「移民」が「貧困」になり「暴力」へ向かうという状況は、今欧米諸国で起きている状況を想起させます。欧米においても、貧しい移民や、過去に差別され社会に溶け込めなかった外国人が、ISIL(イスラム国)に参加したり、ISILに触発されてテロを起こしたりしています。
 奇しくも、川崎の事件の犯行グループも自らを「カワサキ国」と名乗っていたそうです。本人たちも、ふざけて名乗っていただけで、大した意図はなかったと思われますが……。
 そもそもISILが厄介なのは、直接の関係者かどうかにかかわらず、社会に「不満」や「不安」を持つ者たちに対して「暴力を行使せよ」「主流社会を破壊せよ」というメッセージを世界中に送っているところにあります。それに対する目に見えるリアクションとしては、ISILに忠誠を誓うテログループが世界中に現れたことが挙げられますが、見えないところでも、小さな不良グループあるいは、一人で悶々と「小さなテロ」を起こそうか起こすまいかと迷っている者たちが無数に存在していると思われます。
 この「小さなテロ」が爆発する土壌が、欧米だけではなく、日本にもあると言えると思います。

■日本における在日外国人に関する報道の歪み
 不思議なことですが、日本のマスコミは在日外国人の犯罪を隠蔽します。成人の在日外国人が犯罪を犯しても、職業や性別のみで名前が報じられなかったり、日本名の通り名で報じられたりします。
 マスコミが在日外国人に牛耳られている等という言説も流布されています。現実的に推測するならば、「差別を助長する」という批判を回避したいマスコミの自己防衛がはたらいているといったところではないでしょうか。
 こうしたマスコミの態度は、移民に関する問題の輪郭をぼかしてしまい、社会課題の解決を阻害しています。マスコミが正しく役割を果たすとしたら、「在日外国人が犯罪を犯した」、「その背景は何か」、「解決策はあるか」といったように事実を正確に、かつ掘り下げて伝えることでしょう。これは全く差別ではありません。
  この事件は、「貧困」と「在日」の概念を抜きにして語ることは出来ません。
  マスコミが今のままならば、在日に対する人々の憎悪が治まることはないでしょう。「感情的な問題」が「理性的な課題」へと変わるには、まだ時間がかかりそうです。



-Ending Music-









2015年2月22日日曜日

トキソプラズマ ~ネコを追うネズミ・ネコが好きなヒト~



今日は猫の日。
ところで突然ですが、猫と関わりの深い寄生性の単細胞生物があります。それが『トキソプラズマ』です。

1.トキソプラズマとは
 世界中で見られる感染症で、世界人口の3分の1が感染していると推測されている。有病率には地域で大きな差がある。ガーナでは92%もありますが、日本では20~30%と推定されています。
 健康な成人の場合には、感染しても無徴候に留まるか、せいぜい数週間のあいだ軽い風邪のような症状が出る程度でありますが、重症化した場合には、脳炎や神経系疾患をおこしたり、肺・心臓・肝臓・眼球などに悪影響を及ぼします。予防するためのワクチンは現在ありません。

2.猫とトキソプラズマの関係
  寄生生物の中には、複数の動物の体内を往来しているものが少なくありません。トキソプラズマも複数の動物を経由しますが、その最終目的地が正に「猫」なのです。 トキソプラズマは、猫の体内に入ることで初めて有性生殖を行うことが出来ます。これにより、「オーシスト」と呼ばれる卵のような耐久性の強い形態となり、糞便として外界に排出されます。その糞便をネズミ等が摂食したり、土壌の中に溶け込んで植物や水を汚染することで他の生物の体内に入ります。
 
3.「じゃあ、猫は危険?」「いいえ、まず感染しません!」
  まず、猫と触れるだけで感染するわけではないことは明確です。感染猫がオーシストを排出するのは初感染の際の数週間に限られており、オーシストを排出しているのは猫の1~2%程度に過ぎません。また猫の糞便中のオーシストも成熟するのに数日を要することから、通常の飼い猫であれば飼い主が1~2日毎にトイ レ掃除をしている為、まず感染することはありません。
 飼い猫の場合は、トイレ掃除を怠って糞を長時間放置した時に感染のリスクが発生します。
また、公園の砂場等に放置されている野良猫の糞には注意が必要でしょう。

4.宿主の行動の変化
トキソプラズマが宿主にどのような影響を与えるかは、研究がまだあまり進んでいないようですが、いくつかの研究報告があります。


(1)トキソプラズマに感染したマウスはネコを恐れなくなる。また、猫の尿の匂いに引き寄せられるようになる。
 これはネコを終宿主とするトキソプラズマの巧妙な戦略です。あの『トムとジェリー』もトキソプラズマによって引き起こされたストーリーだろう、と私は思っています…。
 

(2)トキソプラズマの慢性感染によりヒトの行動や人格にも変化が出るとする研究例はかなりあります。
統合失調症や双極性障害にかかりやすくなる
・男性は、リスクを恐れなくなる・集中力散漫・規則破り・危険行為・独断的・反社会的・猜疑的・嫉妬深い・女性にもてない
・女性は、社交的・ふしだら・男性にもてる

 

男性酷いな(笑)。オタク系の男子に猫好きが多いのは、トキソプラズマで説明できるかもしれません。

(3)トキソプラズマが宿主の行動を操作する手段としては、脳内麻薬である「ドーパミン」が使用されているとみられている。宿主が、トキソプラズマにとって都合のよい行動をしたときに、報酬としてドーパミンが与えられる。
 

 寄生生物は、自然界には当たり前のように存在しており、自分より大きな生物の行動をいとも容易くコントロールしています。それは、人間も例外ではないと考えた方が自然です。
 私が猫の柔らかいおなかに顔を埋めるのも、トキソプラズマが引き起こしている行動なのかもしれません。





2015年2月20日金曜日

首相の日教組野次を冷静に分析する


 安倍首相が19日の衆院予算委員会で、民主党の玉木 雄一郎議員の質問中に、唐突に「日教組!」と野次を飛ばし、委員長から注意を受けるシーンがありました。
 質問は西川農水相側が砂糖業界から受けた寄付金を巡る内容であり、玉木議員は日教組の出身ではないので、「意味が分からない」さらには「幼稚だ」、「精神を病んでいる」との批判が集まっています。








■安倍氏の頭の中を分析

 大体、下記のような思考経路だったことが予想できます。

「民主党」 + 「政治献金の話題」 

       ↓



     (連想)

       ↓


 「あれ?企業献金よりも、日教組の民主党への献金の方が問題が大きいのでは?」



そして、反射的に「日教組!日教組!」という野次につながる。
安倍氏の 現在の精神状態は、比較的物事は自分の思い通り進んでいて、自信を深めている状態でしょう。国会も掌握しきっているという感覚である為、マナーをも超越できる訳です。


■日教組と民主党の問題とは? 

民主党と日教組の問題については、下記参照。

中山泰秀『日教組献金事件。これ個人献金制度にして大丈夫???』
 北海道教職員組合(北教祖)が民主党の小林千代美元衆議院議員の陣営に違法な資金提供(1600万円)をしたとされる事件がありました。教職員の個人名を使って献金し、日教組のバックグラウンドがあることをカムフラージュしていた疑いがあるとのこと。

安倍氏の日教組への問題意識は下の動画で雰囲気が分かります。
-安倍晋三、日教組に宣戦布告!(2010年)-



 教育者は政治的に中立であるべき。にもかかわらず、日教組はいわゆる左翼的な独特の思想をもち、その思想に沿う特定の政治家に金銭を渡すことで、社会への影響力を行使しようとしました。これは、子供たちを特定の思想へと洗脳することにも繋がりかねません。
 安倍氏が、このような問題意識を日頃から持っている為、今回の野次のような、「連想の飛躍による発言」が飛び出したと分析できます。問題意識が強いからこそ、熱くなってしまったのでしょう。


■理性的な批判をするならば・・・

 私自身は自民党にも、安倍氏にも中立的な立場です。
  安倍氏が批判されるべきは、政治献金つながりの話題とはいえ、「質問とは直接関係ない野次を飛ばした」という点だけです。確かに、お行儀が悪い。幼稚だという批判は、的確かどうかは分からないが気持ちは分かります。但し、「精神を病んでいる」とまでは言えないでしょう。

 個人的な連想の飛躍から、他者に理解できないことを話してしまうというのは、私を含め誰しもがやってしまいがちなミスです。ロジカルにコミュニケーションをとるということは、案外難しいものなのです。

 今回の件をよく知りもせず、調べもせず批判している方の多くは、個人的な思想やコンプレックス等の理由で、政府、自民党、首相の批判をしたいという欲求を予めもっています。その為、自分の欲求に対して都合が悪い情報には耳と目閉じてしまい、感情的な批判に終始してしまうのです。