2009年9月11日金曜日

matryoshka

matryoshka
myspace

曲もさることながらジャケットが美しい。
coctura_jaket_m.jpgzatracenie_jacket_m.jpg

・「Sink Into The Sin」 matryoshka


“Sink Into the Sin”はオリジナルもいいけれど、
world's end girlfriendのリミックスver.が良い。
後半の琴(?)の音が入ってくるところからの展開がカッコイイ。




・Matryoshka - Sink Into The Sin (remixed by world's end girlfriend)




matryoshka

2009年8月22日土曜日

スナッフ・フィルムで教育

X51.ORGのある記事を見ていて子どもの頃の記憶が甦り、ある事実に気付きました。

スナッフ・フィルムについての記事を読んでいて、その中で『THE MAN BEHIND THE SUN - 黒い太陽731』という映画が紹介されていました。

リンクだけを貼ってもいいのですがグロ満載なので文章を転載させていただきます。

1988年、。牟敦芾監督(香港)。日中戦争における関東軍石井731部隊の行ったと言われる人体実験等をスプラッター風に描いた作品。その残酷描写はまた徹底しており、氷付けの手に熱湯をかけて肉を丸ごとはぎ取る、ガス室に親子を閉じこめて殺す、減圧室に男を閉じこめ肛門から脱腸させる、ネズミ数百匹を(本当に)一気に焼き殺すといった惨たらしいシーンがひたすら続く。この映画が特に話題になったのは、少年の解剖シーンである。
公開当初から、その余りにもリアルな映像から実際の死体が使われているのではないかという噂を呼んだが、後に監督その事実を認めた。監督によれば、撮影中、病院に少年の死体を"予約"し、死者が出たタイミングで、実際に死体を入手して死体解剖を行ったのだという(また実験で死んだ遺体が次々と焼却炉に放り込まれるシーンでも、実際の遺体が使われていたのではないかといった噂が流れたがこの真偽は不明)。なおこの映画については反日プロパガンダ作品と評されることもあるが、突き抜けた残酷描写の衝撃性はもはやその主題さえ忘れさせ、モンドや、エクスプロイテーション作品として認識されることも多い。
出典(グロ注意)

この記事を読んで思い出したことがあります。
子どもの頃、「小学校の授業で人が腕の肉を剥ぎ取られたり、ガスで殺されたりする映画を見せられた」と言う知人がいたのです。その子は血の気が引いて卒倒寸前になり保健室に運ばれたとか。その映画がまさに『黒い太陽731』だったです。
ネットで少し噂を調べてみると、さすがに小学校で見せられたという人は私の知人の他には見当たらなかったのですが、中学や高校で見せられた人はやはり少なからず存在するようです。その当時の日教組の方針で、このグロテスク映画が教材として推奨されていたのかもしれません。

反日教育がどうとか、史実に基づいていないとか、倫理とかそんなことを言いたいわけではありません。超現実的な奇聞の数々の中に、私の現実の記憶と繋がるものがあったことに息を飲んだのです。

この映画は厳密に言えばスナッフ・フィルムではないのですが、一部に本物の死体を紛れ込ませているスプラッター映画という点で、それに近いと言えましょう。実際、猫や鼠を生きたまま殺していますし。
そのようなスナッフ・フィルム紛いの映画を教育現場で子供たちに見せているという異常事態は、中途半端なオカルト話や都市伝説よりもショッキングであり、X51.ORGで紹介されても見劣りしない奇談ではないでしょうか。

かつて一部の趣味人が裏世界でどうにか手に入れてひっそりと楽しんでいたスナッフ・フィルム。それを日本では教材として使用している。なんとも珍奇なお話です。

後々嘘のようなホントの話として語り継がれていくのではないでしょうか。


ちなみにこの問題の『THE MAN BEHIND THE SUN - 黒い太陽731』はニコニコ動画にアップされています。


なぜか削除されずに半年も残っています。
グロ注意ですので、苦手な方は見ないで下さい。part1


2009年7月18日土曜日

デザイン・フェスタVol.29 ~その他編~

引き続きデザイン・フェスタVol.29の
その他数多のアーティストさんの紹介です。

もんちほし
monchihoshi.jpg
浮世絵的で美しい。


PSYTECH
PSYTECH.jpg
痛々しいの好きです。


連使
連使.jpg
会場で一番でかい作品だったかな。

螺旋病院
螺旋病院2.jpg
中で何かをしてらっしゃる。
皆が写真を撮っていたのでなんとなく釣られて撮影。
見世物小屋というコンセプトがあるらしいです。

・猫祭姫
猫祭姫.jpg
デザインフェスタ常連の方。

・鴇田みよこ
鴇田みよこ.jpg
どこか無機的な奇妙な学生たち。

・喜田小夜子
喜田小夜子.jpg
この絵を見て外人さんが「WOW!」と驚いていました。
和の雰囲気と生々しい性の表現が新奇だったのでしょう。

XION
XION.jpg


ちょめとぴも
アルカディアの扉
縮景
TAKORAS
alcoholic drops
BLACK HAPPY
ONEQ
GALVANIC BONE&SKULL ART




KONBU
KONBU.jpg
緻密で面白い絵です。
KITANYA
KITANYA.jpg
緊縛をテーマにしたポップな商品たちがありました。
吉祥寺のヴィレッジヴァンガードでも売っているそうです。
・以下、作者不明
CA3C0095.jpg
CA3C0085.jpg
CA3C0083.jpg
曼陀羅的な絵。
普遍的な人間の傾向としてこのような同心円状の緻密な図形は、
無意識状態に描かれやすい。
CA3C0063.jpg

2009年7月8日水曜日

デザイン・フェスタVol.29 ~フェチ編~

引き続きデザイン・フェスタVol.29のフェチ編です。

mode et Baroque
mode_et_baroque2.jpg
ボンデージファッションの女性がいました。
SMバー『mode et Baroque』のブースです。
ノリノリでポーズをとっているように見えますが
ちょっとした撮影会状態になって本人たちも少し戸惑っていました。

mode_et_baroque1.jpg
近くを通りかかった怪獣と睨みあい。


・あ!ゼンタイ屋 参照
zentai1.jpg

zentai2.jpg
本職のゼンタイフェチの方々に混ざってパシャリ。


zentai3.jpg
何枚か撮っていると大胆なポーズをとっていただけました。
zentai5.jpg
ゼンタイを着ていた方のブログ
・ロマ展
ROMATEN0.jpg
ROMATEN1.jpgROMATEN3.jpgROMATEN4.jpgROMATEN5.jpg
既成概念をぶち壊した様々なマスク。
ROMATEN8.jpg
パンツマスク。
みうらじゅんも「マスクは下着である。」と述べていました。参照
剥き出しの粘膜を備えた器官である口は第二の性器であり、
それを包み隠すマスクは確かに下着のようなものなのです。

2009年7月4日土曜日

デザイン・フェスタVol.29 ~人形編~

��月17日に行ってきました
デザイン・フェスタVol.29についてのレポートです。
今日はとりあえず、人形編です。


●たしか特殊メイクの専門学校のブースにあったもの
CA3C0068.jpg

shinyDoll
shinyDoll.jpg
楽器を演奏している人の横でちょこんと座っていました。

可知井英敬
可知井英敬.jpg
背後の絵と相俟って不思議な存在感が。

駒烏(くう)
駒烏1.jpg

駒烏2.jpg

駒烏3.jpg
仮面、着物、黒のドレスを身に纏った美しい人形たち。

●今里ろむ mixi
今里ろむ1.jpg
緊縛、拘束、着物、人形……最高じゃないですか!
大好物です。

今里ろむ2.jpg
可愛い兎仮面。人形用かな。

今里ろむ3.jpg


船本 雅友美
船本 雅友美.jpg
存在感がありすぎて、近寄りがたさすら発しているようでした。
私のような物好きは平気で近づいていきますが。
人形はそもそも人であって人でないもの。
人が違和や恐怖を覚えるのは必然。その自らの感情を楽しめるのか、です。

八裕沙
八裕沙.jpg
アーティストさんが目の前にいて写真を取りづらかったのですが、
あまりに美しかったので「撮っていいですか?」と頼みました。
快く「いいですよ」と言って下さいました。

八裕沙2.jpg
キメラな人形。


撮った写真を見返していると半分くらいは
人形の写真が占めていました(笑)

このあと~フェチ編~、~その他編~へと続く予定です。

2008年11月12日水曜日

デザイン・フェスタVol.28

デザイン・フェスタに行ってきました。

初めて行ったのですが、
あの空間はホントにお祭りといった感じで気分がいいですね。
私は人間の創造物が好きだし、創造する人も好きなので、
その両方が見られるのもこのイベントの醍醐味です。

個人的にはもっとエロくてグロい作品が増えてほしいな。
そして、作品を見つつ作家さんをチラ見したい。(笑)

来場客にはマナーの悪い人がいない気がしました。
アート好きは相対的に無粋な人が少ないのかもしれませんね。

デジカメを持って行くのを忘れてしまったのが、心残りです。
それとインドアライブの音量がちょっと大きすぎる気がしたのですが、
毎回あんな感じなのかな。


doll-unknown

↓に気になった、あるいは目に付いた作家さんの
リンクを備忘録的にいくつか載せます。(随時追記予定)
気になったブースの名刺をちゃんともらっておけば良かったなぁ……。
気に入っても名前が分からないアーティストさんは検索できないので。


公式ブログ(当日の様子)

羽化幻灯
『桜花』
doll-ouka
ここには他にも美しい人形が展示されていました。

レプリカ 
匿名の仮面 
仮面を見るのにも、着けるのにも胸が躍る感じがします。仮面フェチです。
仮面作家になりたいな。作家もどきという意味ではなくて。
仮面のみならず、ガスマスクや普通のマスクといった類にも興味があります。

Illustrator UGYAU
 
ここの褌作品にもドキドキします(笑)
褌の装着者の性別は関係なしに何か感じ入るものがあります。
褌フェチです。

ベラドンナの 人形商人
 
横濱人形倶楽部 
世界はニャーでできている。 
くにこ:ピアノ人形 
駕籠真太郎 
チルチル座 

小沢団子

照沼ファリーザ
この人のご自身のエロティックな姿を撮影した写真の展示が、
今回の最もエロい作品だったと思います。
ブースにはご本人がいらっしゃいました。
��Vに出演されているそうです。
参考



2008年7月20日日曜日

『松井冬子』

NHKで松井冬子の特集を見ました。

痛みが美に変わる時 ~画家・松井冬子の世界~




社会学者、上野千鶴子は彼女のアートを自傷系アートと呼ぶ。
自傷系アートを楽しむというのは、自傷の代替行為であり、それだけでリストカットと同じくらいのカタルシスを得られるのでしょう。
だが、そうした愉悦を貪る少女の直情的な行動とは裏腹に、松井さんの作品は短絡的な「動機のない苦痛」の表現ではないように思われる。(本人にとっても創作が自殺の代替行為であったことは、番組中に明らかになるが)
先日のトップランナーで椎名林檎さんは、「過激なことをすればいいんだろ?」といった業界の風潮に辟易していたと語っていました。
近頃の文学に関しても、「過去のモラルの壁を突き破る過激な性表現をするのが現代文学なのだろう?」と言わんばかりの作品が目につく気がします。
過激な表現自体は構わないと思うが、因果や目的がなければ価値も創造性もないと思います。
「○○すればいいのだろう」と思った時点で、他動的になる。


血や皮膚の剥がれた肉や内臓を見ることで、人間は否応なしに嫌悪や恐怖を覚えます。その情動の根源を訪ねてみても、それがどこから来るのかは分からない。これは先験的なものであり、全人類が共有できるものなのです。
現実世界では血や肉や内臓を目に触れることは少ないし、それを表現する者も少ない。負の情動を起こすものはできることなら隠したいからだ。
でも、私はそうしたものを見てみたい。隠蔽された真の現実性の大海と自らの内にある普遍的な感覚に触れてみたいからです。

松井冬子の魅力についてインタヴューを受けている人たちが、どこか気恥ずかしそうにしているのは、彼女の作品によって自分の内面で萌す普遍的な感覚が、性欲や食欲のような原始的欲求と同質のものであることを、無意識的に理解しており、それを暴露するのが憚られるからでしょう。
想像してみると確かにそうだ。親に隠していた淫猥な本を発見されるよりも、松井冬子の画集を持っていることを知られることの方がどこか気恥ずかしく思われる。


終極にある異体の存在(2007).jpg
『終極にある異体の存在(2007)』
動物に体を啄ばまれるという象徴は、神話においても登場します。
『人類に「火」を伝えたプロメテウスはゼウスの怒りを買い、カウカソス山の山頂に張り付けにされ、生きながらにして肝臓を禿鷹に啄ばまれ続ける責め苦を受けることになる。プロメテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘラクレスにより解放されるまで半永久的な拷問が行われていた。』
動物が意味するものは、自らの無意識、すなわち自らの意思では抑えられない衝動や自分の中の原始的な欲求などであることが多い。
動物に自分の身体が少しずつ喰い千切られていくということは、すなわち自我の収縮であり、離人症的な感覚を表現しているように思われます。VTRの中でもあるが、松井さんは制作中の絵の中の女性に「冬子さん」と呼ばれたことがあるそうです。この幻聴と学生時代に友人を作らなかったことといった傾向を併せて考えると、彼女は統合失調症の可能性があります。離人症的な感覚は、統合失調症や極度の疲労状態などで起こるとされています。

夢や神話や表現の場において、「死のイメージ」と「再生のイメージ」は不可分です。
彼女は描くことで過去を閉じ込め、現在の自分に蘇るのです。なるほど、学生時代の彼女の顔は狂気を帯びていて、正に彼女の芸術の登場人物として相応しい。


番組の最後で上野千鶴子は彼女をバロックパールに喩えます。上野は真球ではなく歪んだバロックパールが好きだと言っています。
ここで私が感銘を受けたフランシス・ベーコンの言葉が浮かびました。

「どこかに均整をやぶる奇異なところがない至高の美はない」

一般には左右対称の顔が美しいとか、均衡のとれた造形が見ていて心地良いとされている。実際多くの人はそうなのでしょう。
しかし、その単純な心地よい美ではない、美があるのです。
樹木が成長するプロセスをプログラミングしてシミュレーションすると、見事な均衡のとれた幾何学模様ができる。しかし、現実の樹木はその特定の時空間に於ける無数の小さな条件がカオス的に働いて、独特の不均衡を表現する。それらを見比べたときに、真っ直ぐに伸びた幹に美を覚えるか、歪曲した幹に美を覚えるか、です。

上野千鶴子が松井さんに「幸せになることをためらわないで下さい」と言った。それに対して、上野さんを石頭で古典的教条的人間であると決めつけて、この発言で松井さんに対して女性としての幸せ、つまり男性との交際や結婚を匂わせていると思った人が多いようです。
しかし、上野さんの言いたいことはそんなことではないと思います。現在の松井さんは過去の不幸な情念や苦痛や怒りを創作の源泉としながら社会的地位を築いてきたのだが、松井さんは現在の幸福を素直に受け入れることができないでいる。なぜなら、幸せになることで自分の創作の原動力を失うことになるかもしれないと思っているように感じたからでしょう。その葛藤を案じての発言だったのでしょう。