2011年3月12日土曜日

世界の終りの夢 ~地震と心のシンクロニシティ~

3月11日明け方、夢を見た。

私は街が見渡せる6~7階のアパートに、若い6人ほどの同居人とともに暮らしていた。地平線の果てまで低い建物の街並みが続いていた。
リビングで寛いでいると、たて笛のようなヒューという高い音色が聞こえた。その直後に、遥か遠くで微かに破裂音が聞こえた。私だけに聞こえているのかと、同居人を見渡したが、誰も気づいていないようである。すると、また先よりも少し大きな破裂音が聞こえた。窓の外を見遣ると、遠くの空に光を放つ飛行物体が煙を吐きながらゆっくりと飛んでいる。私は指をさして皆に知らしめた。
7人が注目する中、光は弧を描きながら街に落下し、爆発した。ミサイルだった。
まだその時は、現実感がなく他人事のように一同はその様子を見詰めていた。
しかし、また一つ、また一つと光が街並みに飲みこまれ爆炎が上がり、それが徐々にこちらに近づきつつあった。そして、飛来するミサイルは途絶える所か、次第にその数を増やし、空を埋め尽くすほどの量になった。
私の感情は恐怖を省略して、世界の終りを迎え入れようという諦観の域に入っていた。
世界は意外なほど静かに終わってゆくようだった。
街の半数が瓦礫に変わった頃、私のアパートの近くで爆発が起こった。その直後、大きな爆音とともにアパートが大きく揺れ、窓硝子が割れた。
不思議と7人は落ち着いていた。皆が何かを覚悟して顔を見合わせた。
無数のミサイルの雨が降ってくる天の方向に、人ならぬ巨大な悪意と神性をもった存在が感じられた。私たちは、何もせず死ぬよりは、その者に抵抗しようと考えたのだ。
私は言った「着替えようか。」
皆は静かに深く頷き出かける身支度を始めた。

ここで目が覚める。

その日の昼下がり、東日本大震災が起こった。
私自身も、大きな揺れに見舞われた。恐怖を通り越して、世界の終りを覚悟する感覚が、明け方に見た夢と酷似していた。

この「偶然の一致」は、シンクロニシティ(共時性)と呼ばれるものと捉えています。
人は通常、ある現象は物理的な因果性を以って引き起こされると考えます。例えば、「風が吹いて、木から一枚の枯れ葉が落ちた」という現象について、「風が吹いたから」という因果の連関を想定します。
しかし、共時的概念に則って解釈すると、「大事な人が死に、一枚の枯れ葉が落ちた」と考えることが出来るのです。つまり、意味やイメージ、人間心理といったものを共通項にし、それに関連する複数の事象が、物理的因果に関係なく、共鳴するようにほぼ同時に引き起こされるというのが、シンクロニシティなのです。

シンクロニシティの提唱者ユングも、第1次世界大戦の前に、ヨーロッパが大洪水に襲われる夢を見るなど、多くの予知夢や予知的な幻像(白昼夢のようなもの)を見ています。

ユング心理学辞典によれば共時性とは、
1. 非因果的連関の原理
2. 別々のできごとに、互いに因果的な関連はないが、そのつながりに意味が感じられる事態を示すもの
3. 別々のできごとが、時空間的に互いに一致し、しかも意味深い心理的連関がそこに感じられる事態をしめすもの
4. こころの世界と物質の世界をつなぐもの
です。


シンクロニシティについて、単なる偶然の一致だ、論理的ではない、という批判は当然ある。
ただ、ウィキペディアにもあるように、「遠く離れた出来事が、直接に物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは、量子力学の相関関係において明確に表されている」のです。
ユング派心理学者フランツは共時性に関連して次のように述べいます。
「心と物は実際は1つの現象であって、一方は『内側』から観察されたものであり、もう一方は『外側』から観察されたものである」
量子力学における、2つの電子のスピンの話に似ていなくもない。


ユングは、自身の体験や東洋の宗教の研究からシンクロニシティを提唱したが、それほど多くの事例には接していないでしょう。しかし、個人的体験が無数にネット上に暴露されている現代、ブログやTwitterで今回の地震に関するシンクロニシティ様体験がどれほど起こっているのか探ってみると、意外に多く発見できるかもしれません。




2011年3月6日日曜日

飛騨の妖怪『両面宿儺』に関する個人的推論に基づく奇説 ~悪魔主義③~

悪魔主義シリーズ第3回は、日本書紀に登場する『両面宿儺』に関してです。

両面宿儺とは、不思議な存在である。
日本書紀に依れば、彼は二人の人間を背中合わせに融合させたような異形の姿だったという。顔二つ、腕が前後一対の四本、足はそれぞれに合わさっていたため二本だったが前後両方に曲がった。手には弓矢、剣を持っている。動きは俊敏で怪力とされる。こう聞くと明らかに妖怪である。

ところで、両面宿儺は優れた指揮官であり、自身も武術に長けていたいたそうだ。
更に、飛騨国は古代から建築・大工技術が発達しており、彼も優秀な技術者であったという説もある。
更に更に、彼が統治する飛騨国は常に豊作に恵まれていたらしく、日照りのときは雨を呼び、冷害が起こると口から炎を吐いたと言い伝えられているが、現実的には彼が優れた農耕技術をもっており田畑を守っていたと考えられる。

こうした情報を併せて見えてきた両面宿儺の正体は、妖怪などではなく、多彩な能力を発揮し、縦横無尽に働いて飛騨国を守った善き王だ。
事実として、地元では現代でも「宿儺さん」との愛称で慕われ、飛騨国、美濃国の多くの寺で信仰の対象となっている。

何よりも気になるのは、日本書紀における彼の姿に関する奇怪な記述である。
双子の王であったという説、彼の八面六臂の活躍が象徴的に表現された姿であるという説があり、日本書紀の編纂者の恣意性により不気味な妖怪として民衆に伝えられたというのが現実的と言えるかもしれない。

ただ、悪魔性を帯びさせるにしても中途半端な姿で表現され、妙に詳細な特徴まで記述されている点からして、彼は本当に記述通りの姿だったのではないだろうか。即ち、彼はシャム双生児だったのである。しかし、常識的に考えて、古代社会において奇形は許容されるべくもなく、産まれた瞬間に殺されていただろう。

個人的推論ではあるが、彼が奇形でありながらカリスマ的存在となったのは、元々ある程度権力をもっていた親族が、彼を世に送り出す前に、奇形の姿をもつ神の登場するフィクションを創り、飛騨国に普及させた為ではないだろうか。そして、周到に地盤を固めた上で、神話の世界から地上へと神性を帯びながら降臨するような演出の下で、満を持して両面宿儺が現れたのである。
これが事実であれば、奇形の子が産まれた瞬間に、直ぐには殺さずに、彼の非現実性を巧妙に利用した一族の権力を維持する為の筋書き(神話)を発案し、実際にプロデュースした者も大したものである。

両面宿儺が優れた戦士であったことに関しては、彼が奇形の体を巧みに操っていた為だと推測する。脳は身体を道具として認識する。別段、規格通りの身体でなくとも、神経が通っていて、物理的に動けないような構造になっていなければ、脳は奇形の体に適応する。(サイボーグ技術が黎明を迎え、徐々に研究が進んでいるが、訓練次第で人間が機械の体を自分の体の様に扱えるようになることは確認されている)
子供の頃から武道の訓練を受け、次第に隙の無い360°の視野、四本の腕、予測不可能な足捌きを活かした自己流の武術を体得していったことが想像される。
(奇形の人がその特徴的な身体を活かして、常人を超えた能力を発揮したという事例は未だ聞いた事はないが……)



余談だが、両面宿儺が飛騨国に仏教を伝えたという伝承もあるが、彼の生きた仁徳天皇(在位:西暦394~427年)の時代は、仏教が日本に伝わった年(西暦552年)の100年以上前の話である。
更に余談だが、奇形の子が殺されなかった要因が他にもあると考えている。これも個人的推論に基づく奇説だが、両面宿儺の発祥の地と思われる丹生川町は、その名の通り「丹=硫化水銀」が産出する土地であったのではないか。
硫化水銀自体は安定した物質で、毒性は極めて低く、寧ろ薬用として珍重されるものだ。一方、古代中国では水銀が不老不死の効用があると信じられており、錬丹術により硫化水銀から丹薬を生成し、それを摂取した秦の始皇帝や多数の権力者が水銀中毒で怪死したということもあった。
水銀の不老不死の効用についての迷信は日本にも伝来されており、飛騨国の権力者も丹薬を摂取していたのではないかと推測する。そのように仮定すると、当時の飛騨国で奇形児はそれほど珍しくなかったのかもしれない。
そうした背景が有りつつ、如何せん山奥の小国なので、奇形を許容するような特殊な文化が発達し、奇形が社会の中に溶け込んでいたのではないか……というのは考え過ぎかな。