2011年2月28日月曜日

日本と悪魔 ~悪魔主義②~



今回は日本における悪の存在についてです。

1.日本と悪魔
キリスト教伝来以前の日本には「悪魔」の概念は存在しない。
日本神話において、それに近い概念があるとすれば、「暴虐(ちはや)ふる悪しき物神」として「国津神(くにつかみ)」が、初期の地上を跋扈していたという。そこへ、「天津神(あまつかみ)」がやって来て、悪しき者を追い払ったという。
これは、現在の日本人の祖先である渡来人が、日本の先住民である縄文人を制圧し、侵略した事実を、朝廷や古事記と日本書紀の編纂者が正当化しようとして描いたものだったのである。
初期の帝たちは、東国への侵攻を続けた。代表的な例として、天皇への恭順を拒み反乱を起こした『悪路王』は桓武天皇の勅命を受けた坂上田村麻呂に鎮圧され、飛騨地方を独自に統治していた『両面宿儺(りょうめんすくな)※』は仁徳天皇の差し向けた武振熊命に打ち破られている。
(※両面宿儺はなかなか面白い人物なので、後日取り上げる)

2.妖怪と鬼
こうして朝廷勢力(天津神)に悪しき者として追われたものたちは、山中深くや海の向こうへ逃げ込み、平地に暮らす人々が日常的には立ち入らない場所で暮らすこととなった。ところが、当然のことながら、非平地民と平地民が接触するという事態が時折発生し、彼らは平地民にとっての「非日常の存在」すなわち「物の怪」として認識されるようになる。
当初、「物の怪」は気配のようなもの、あるいは普通の人間と変わらぬ姿として描写されたが、時を経るごとに怪物化した。抽象概念として存在していた物の怪を「鬼」や「妖怪」として具象的に描き、世に広めるのに貢献したのは、江戸時代の絵師、鳥山石燕(1712~88年)である。
鳥山石燕 ウィキペディア



2011年2月27日日曜日

『悪魔辞典』~悪魔主義~

「悪魔辞典」という本を読んだ。
悪魔事典 (Truth In Fantasy事典シリーズ)

世界のあらゆる時代の神話、小説に登場する悪魔について網羅している本だ。

Le calvaire, 1882.jpg
「Le calvaire, 1882」(Félicien Rops)
ロップスの悪魔的な絵は禍々しい肉体性と相俟って迫力がある。









また、悪魔主義の社会的意味と歴史についても少々記述されていた。
自ら調べたことと併せて下記に書いてみる。

1.悪魔主義の社会的意味
現代的な思考で「神」読み解いていくと、「神=体制」である。体制はその権力を維持するために、神を味方につけた。時の権力者が、野山を開拓し、国を創造し、あらゆる諸問題を解決し、「反体制の者共」を討伐した様子が善行として描かれたものが、神話なのである。
この論理の中で、「神=体制」の敵である「反体制」が正に「悪魔」として描かれる。
神話に描かれてきた「悪魔」は、悪政を働く体制と戦った英雄だったかもしれないのである。
(この本では「悪魔」について「相対的な悪」という説明の仕方に偏っており、「絶対的な悪」の概念への言及が欠けているように思われる)

2.悪魔主義の歴史
悪魔主義が誕生したのは、19世紀末のフランスとされている。その頃のフランスは、フランス革命から1世紀が経過し、世の中はデカダンスの様相を呈していた。
革命当時、旧来の宗教への懐疑と体制への懐疑が混在しながら高揚していた。権力を体制から民衆へと引き戻そうとする流れの中で、特権階級であったカトリック教会の聖職者たちも革命派の標的となった。
こうしたキリスト教弾圧の背景をもつ悪魔主義の基礎には、民衆を統治する装置としての既成道徳の呪縛を祓い、抑圧された個人主義的、快楽主義的思想を解放するという概念がある。社会的革命と呼応するように起こった精神的革命であると言えよう。