2015年11月7日土曜日

『猫付きマンション』 ~猫との暮らしに変化~



 本来、猫を飼う場合、特定の猫を里親会やペットショップから譲渡され、その後はえさやり、トイレの世話など日常のケアをしながら、一生面倒をみるのが常識だった。
 しかし、私たちの猫との暮らし方に変化をもたらす可能性のあるサービスが生まれてる。それは、『猫付マンション』と呼ばれるものだ。
 これは、NPO法人『東京キャットガーディアン』が賃貸マンションのオーナーと提携し、『猫付きマンション』として入居者を募るという企画で、システムは以下の通り。


■猫付マンションとは
  • 賃貸契約と、同時に『猫の生体貸与契約書』を交わす。
  • 契約者に里親の適性があるか『東京キャットガーディアン』の担当者が面接審査を行う。(ちなみに、合格率は現在60%程度という)
  • その審査を合格した後に、シェルターで数多くの猫たちの中から一匹選ぶ。これで、晴れて猫との暮らしをスタートできる。
  • 引っ越す場合は、猫を返却することになる。但し、愛着が湧いてしまった場合は、“貸与契約”から“譲渡契約”に切り替えることも可能。

 『猫付マンション』というネーミングから、物件に自動的に猫が付いてくると誤解しがちだが、“猫をレンタルできる物件”というわけだ。
  なぜこのようなことができるのか。猫の保護団体や活動家は、これまで自分で借りたの施設や自宅で猫を保護し、里親を探していた。しかし、現状は慢性的な キャパシティ不足で、結果的に保護しきれずに殺処分になってしまう猫が多く存在する(下図)。(※保護団体が直接殺処分しているという意味ではない)


それに対して、猫付マンションの概念は下図のように、猫を保護する場を一般の賃貸マンションにまで広げ、キャパシティを増加させることができるのだ。



■猫との暮らしに立ちはだかる障害

 ペットを飼うということは、生命を背負うことであり、重い責任を負うことになる。しかし、人の人生である以上、突然の転勤、失業、入院、あるいは死亡などの事情によって、その責任が背負い きれなくなることもある。
それでも世間には、「一度引き取ったのなら、人生を擲ってでも最期まで面倒を見るべきだ」という非情なまでに厳しい意見が多くを占めているように思われる。 そうした声にさらされた時、追いつめられた一部の飼い主は、猫を捨てたり、殺処分したりするという決断をしてしまう。これは、猫にとっても、飼い主にとっても悲劇であり、一方的に飼い主を責め立てたところで何の解決にもならない。

 殊にペットのこととなると「情動」や「モラル」といった曖昧なものをより所としてしまう傾向があるが、この社会的な問題の解決に必要なのは「システム」だ。少なくともこの「猫付マンション」というシステムを活用していれば、上述のような悲劇は未然に防がれるだろう。

 また、“猫を飼ってみたい”と思っているけれども、その重い責任と猫を飼うことのハードルの高さゆえに、リスクを回避してきた人が少なからず存在するのは間違いないだろう。そんな潜在ニーズにも応えることができるのだ。
ているけれども、その重い責任と猫を飼うことのハードルの高さゆえに、リスクを回避してきた人が少なからず存在するのは間違いないだろう。そんな潜在ニーズにも応えることができるのだ。


“ライトオーナー化”が猫との暮らしに変化をもたらす?

  このサービスが成功するかどうかはまだ分からない。多くの改善を積み重ねることになるだろう。ただ、猫の所有に関する新しいモデルを社会に提示しているという、意義深さには疑う余地はない。ペットを飼うことの重い責任やリスクを多くの人や団体でシェアすることで、より安心して動物と暮らせるようになるとい う社会インフラを発明したのだ。これはペットの“ライトオーナー化”とでも言えるだろう。
 
 今後、『猫付マンション』に留まらず、猫と人との共生は“ライトオーナー化”へ向かい、様々なビジネスが台頭するのではないだろうか。そしていくつもの新たな問題に直面しながらも解決の道を模索し続け、それらのサービスの質が競争の中で向上していけば、猫と人との共生の在り様もより良いものへ変化していくだろう。
 そんな未来を想い、期待を抱く今日この頃。


2015年4月3日金曜日

終わらない不毛なベビーカー論争 ~暴走族とママ友集団の類似性~

最近のバズりネタの筆頭に「ベビーカー論争」があります。

清少納言もよその母親に苦言を呈していたくらいで、日本文化は昔から変わっていないようです。
 よく言えば、「他人の子育てを気に掛ける文化」なのでしょう。


■ 終わりのない論争

いつまでも終わりが見えないこの論争。大体、下記のようなことが繰り返されています。

ベビーカーママ「国土交通省がベビーカーをたたまずに電車に乗ってもいいって言ってんだけど?」
ベビーカー邪魔派「それでも、周囲に配慮するのは常識でしょ?それに、満員電車にベビーカーは物理的に無理」

ベビーカーママ「ベビーカーがないと重いんだけど?」
ベビーカー邪魔派「長時間じゃなければ我慢できるでしょ?それに何をそんなに出掛けることがあるの?」
ベビーカーママ「買い物。109とか行きたいときもあるじゃん。」

ベビーカー邪魔派「ベビーシッターは使わないの?」 
ベビーカーママ「そんなお金ない」

 ベビーカー邪魔派「ママ友と称する人たちはなぜベビーカーで群れるの?」 
ベビーカーママ「みんなと一緒だと楽しいから」 
ベビーカー邪魔派「ママ友はなぜ群れると、周囲への配慮がなくなるの?道を塞いだり、人の足を踏んづけたり」
 ベビーカーママ「そんなの一部の人だけでしょ? ところで、子連れなのに何でみんな席譲ってくれないの?」
 ベビーカー邪魔派「どうしても辛いなら、譲ってくださいって頼めば譲ってくれるよ」 
ベビーカーママ「少子化の中、産んでやってるのに、自分から譲ってくれないんだね」 

3/30の「TVタックル」で、「元カリスマギャルママモデル 日菜あこ vs 日本子守唄協会理事長 西舘好子」のベビーカー論争が放映されていましたが、結論がもやもやしたまま終了してしまいました。
日菜あこさんは、ベビーカーを引いていると白い目で見られるので、こっちも目つきが悪くなるといった趣旨の発言をしていました。 これは、母としての本能的な攻撃性が垣間見える言葉で、社会と母親の軋轢が深まっている原因の一つでしょう。母親が、逆切れや開き直りをするとますます問題が拗れます。



■ パワーを誇示するツールとしての子 

生殖本能の一部として男性は、例えば最も端的な方法として、車の車体の大きさやバイクのスピード感等によって力強さ、すなわちパワーを誇示しようとする行動がよく表れます。また、それ以上に経済力のアピールという形でパワーの誇示がよく行われます。
一方、女性は、子供を連れて歩き、周囲に見せることで、生殖能力というパワーを誇示しようとします。 そして、女性としての有能感と種族保存への貢献という意味でのヒロイズムに酔うのです。

現代日本画家、松井冬子さんの絵はこの現象をよく表していると思います。
  浄相の持続 
自らの腹を裂き、女性の象徴である子宮を誇示する女性

 ベビーカー以外にも、車のステッカーや写真を見せるあるいは、事あるごとに「子供がいるから心配」等と発言する方法で、子供の存在をアピールする姿がよく見受けられます。(意味と目的が明確な場合は別ですが)

本能に従順なタイプの人ほど、この種の言動が現れやすいように見受けられます。


暴走族とママ友集団の行動原理は、集団の形成、パワーの誇示、周囲への無配慮という点で類似していると常々思っていました。

勿論、ママ友集団が皆無法者ということではなくて、本能的な働きを意識して抑制しなければ、そうなりやすいということです。
 



不毛なベビーカー論争を終わらせるための3つの方向性クソキュレーションサイト風に) 

1.母親は自らのエゴで子供を連れ回さない
 欧米では、子供は未発達な人間であり、社会に迷惑を掛ける可能性のある存在であると認識され、無闇に連れて歩くことはしません。
  • 自分の趣味のために子供を連れて長時間電車に乗ることは無謀。母親は、子供を連れ回したくなる心理はどこからくるのかを自覚すべき。 
  • 買い物は、できるだけネットで済ませる。今時、生鮮食品ですらネットで購入できます。 

2.社会は母と子を引き剥がすべき
 日本文化にも問題があり、保守的な人は「母親は常に子供に寄り添っているべき」とする母子密着の思想を押し付けようとしますが、この思想は現代にそぐわないものとなっています。(参考:子供は社会が育てるもの
  • 親、親類、知人を最大限活用する。頼まれた方も協力する。
  • それが不可能な場合も多いので、社会の側はママ友サイト等のサービスを充実させる必要がある。(まだまだ不足しているようです…)

3.社会ルールを明確にする
 曖昧なルールに従う人はいませんが、明確な意味のあるルールについては尊重するのが日本人です。
  • 公共の場でのベビーカー使用法を明確化し、利用者も周囲も理解する
  • 妊婦・子連れ専用車両を作る


ここまで書いてきましたが、多くのベビーカー利用者はマナーを守っているのでしょう。
つまるところ、「マナーの悪い人はどこにでもいて、その人が偶々ベビーカーを引いていた」というのが現実なのではないでしょうか。
 子供を盾にされると注意しにくい為、ネットで炎上しやすい話題となっているようです。


-Ending Music-




2015年3月22日日曜日

愛猫が与える脳への影響 ~オキシトシンの効果~



 猫好きの人であれば誰しも体験したことがあるであろう、猫との触れ合いで安心感や幸福感を覚えるあの感覚。
 この時、人間の脳の中で何が起こっているのだろうか。それは「オキシトシン」という脳内物質で説明できそうだ。

1.オキシトシンとは
 オキシトシンとは、脳の下垂体から分泌されるホルモンの一種である。 オキシトシンは、出産時の子宮筋収縮や授乳時の乳汁分泌を促進するホルモンとして知られている。


2.オキシトシンはどんなときに分泌される?
 親と子供が触れ合うことで、親子双方にオキシトシンが分泌される。また 親友や恋人との触れ合いでもオキシトシンは分泌される。
 オキシトシンは飼育しているペットと触れ合うことでも分泌されることが分かっている。人がペットを優しくなでたり、触れたりすることで人と動物双方にオキシトシンが分泌される。
 オキシトシンが分泌されると幸福感が生まれるので、人はまた同じようにペットに優しくでき、
   「接触」⇒「幸福感」⇒「もっと接触したい」
 という好循環が生まれる。

3.オキシトシンの効能
 主なオキシトシンの効果は下記の4点である。
  ①人と人とを結びつける効果
  ②信頼感を高める効果
  ③愛情を深める効果
  ④安心感を生む効果

 さらに、オキシトシンで自閉症が改善するという研究報告もあり、オキシトシンそのものが最近注目を集めている。また、オキシトシンは、健常者の子供の学習能力を高めるとも言われている。
 オキシトシンの増大は、不安を軽減させ、人との接触が怖くなくなり、社交性が増すようになる。このことからオキシトシンは、うつ病や人見知りの治療薬としても期待されている。

4.猫との触れ合いでオキシトシンを分泌するコツ
 猫好きであれば、猫と見つめ合うだけでもオキシトシンが分泌されるだろう。
 より多くのオキシトシンを分泌するには、対象の猫を「愛おしい・可愛い・好き」と強く思うことが重要だ。
その猫の「円い目が好き」、「肉球が好き」、「柔らかい毛が好き」、「仕草が好き」といったように、具体的なイメージを持つことも、より深い愛情を湧き立たせるのに効果的だろう。
 また、猫と触れ合っているときに、自分の脳内が「オキシトシン=幸福をもたらす液体」で満たされていくようなイメージをもつのもよいかもしれない。

 ちなみに、私は寝ている愛猫のおなかに顔をうずめるという方法を採用している。柔らかい毛と筋肉を感じながらオキシトシンにまみれるのだ。


2015年3月18日水曜日

意外と知られていない「"マズローの欲求階層説"の6階層目」

 メディアに出てくる学者や、評論家がよ援用する心理学の理論に「マズローの欲求階層説」がある。
 これはアメリカの心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。

■マズローの欲求階層

 欲求の各階層の説明は以下の通り。

1階層.生理的欲求(Physiological needs)
 生命維持のための食事・睡眠・排泄等の本能的・根源的な欲求。
 極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどない。しかし、人間にとってこの欲求しか見られないほどの状況は一般的ではないため、通常の健康な人間は即座に次のレベルである安全の欲求が出現する。

2階層.安全の欲求(Safety needs)
 安全性・経済的安定性・良い健康状態の維持・良い暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
 この欲求が単純な形ではっきり見られるのは、脅威や危険に対する反応をまったく抑制しない幼児である。
 一般的に健康な大人はこの反応を抑制することを教えられている上に、文化的で幸運な者はこの欲求に関して満足を得ている場合が多いので、真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない。

3階層.社会欲求と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
 生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
 自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚、情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚、かつて飢餓状態に置かれていた時には欲することのなかった愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
 不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。

4階層.承認(尊重)の欲求(Esteem)
 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。尊重のレベルには二つある。
 低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。
 高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得 ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。
 この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

5階層.自己実現の欲求(Self-actualization)
 以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。
 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
 これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、以下の15の特徴が見られる。

 1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
 2.自己、他者、自然に対する受容
 3.自発性、単純さ、自然さ
 4.課題中心的
 5.プライバシーの欲求からの超越
 6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
 7.認識が絶えず新鮮である
 8.至高なものに触れる神秘的体験がある
 9.共同社会感情
 10.対人関係において心が広くて深い
 11.民主主義的な性格構造
 12.手段と目的、善悪の判断の区別
 13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
 14.創造性
 15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

 これらのうち、最初の4欲求を欠乏欲求(Deficiency-needs)、最後の1つを存在欲求(Being-needs)としてまとめることもある。マズローは、欠乏欲求と存在欲求とを質的に異なるものと考えた。自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。数多くの人が階 段を踏み外し、これまでその人にとって当然と思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。 
 また、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐性を持つようになる。そして、成長欲求実現のため、欠乏欲求が満たされずとも 活動できるようになるという(ex.一部の宗教者や哲学者、慈善活動家など)。
 晩年には、「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした。この考えが、後のトランスパーソナル心理学の源流ともなる。



■意外と知られていない6階層目

 そして、意外と知られていないが、マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、「自己超越」(self-transcendence)の段階である。 自己超越者(transcenders)の特徴は
  • 「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
  • 「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
  • 統合された意識を持つ
  • 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
  • 深い洞察を得た経験が、今までにある
  • 他者の不幸に罪悪感を抱く
  • 創造的である
  • 謙虚である
  • 聡明である
  • 多視点的な思考ができる
  • 外見は普通である(very normal on the outside)
 マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。


2015年3月9日月曜日

川崎中1殺害事件に見る日本の暗部 ~「カワサキ国」と名乗る"在日軍団"~


 川崎中1殺害事件における論点は様々あります。

1.少年法改正

 18歳を子供とみなすのは、現実とずれている。処罰を軽くするのはおかしい、という指摘。
 これについては、国際社会の状況に倣い選挙権が18歳に引き下げられることに伴い、少年法も改正されるでしょう。
 
2.貧困と教育


 まず、事件が起きた地域の環境を知ってもらう為にも、下の地図を見て頂きたいのですが、これは川崎市立富士見中学校付近のGoogleマップで「風俗」と検索した結果です。



 大通りを挟んで、風俗街が広がっています。このような環境も影響してか、この周辺は外国人が多く住んでおり、この付近の公立学校の子供には、ハーフや在日二世が多いと言われています。 また、近くには競馬場があり、パチンコ店も点在しています。この一帯が、性とギャンブルの街であり、貧困を作りやすい環境であることが何となく想像できるかと思います。

 被害者の少年は身の危険にさらされているというシグナルを出していたのに、なぜ周囲は気付けなかったのかという指摘があります。 被害者の家庭は母子家庭であり、子供5人を抱える貧困家庭でした。母親は早朝から夜遅くまで働きに出ており、殆どまともに子供の面倒を見ることができな かったと、自ら語っています。
 また、貧困は加害者側にも影響を与えているのではないかと思います。これは下記3.とも関連するので、後述します。
 貧困家庭は、怠慢によるネグレクトではなく、否が応にもネグレクト状態になってしまいます。この状態では、高確率で子供の心の発達に問題が発生し、学業にも悪影響が出ます。
(被害者の家族が、なぜ生活保護を受けられなかったのか、という別の疑問もある)

 少し前に流行ったピケティ氏が格差の是正として世界共通の資産への課税が必要だと述べているのは有名ですが、同時に貧しい家庭の子供であっても高等教育を受けられる機会を与えるようにすることが重要だとも述べています。
  また、これに関しては、過去の記事「教育の構造的改革 ~問題解決の為のある構想~」で私の考えを書いています。


3.在日外国人と日本社会の不和
 
 2.で記述した貧困とも関係しますが、川崎中1殺害事件において、罪を犯した少年グループにはハーフや在日二世が多くいたことは各種マスコミでは報じられていないません。
  「移民」は必ずしも成功するとは限らないというのは普遍的な事実です。日本にやって来た外国人が日本社会に上手く溶け込めなかったり、まともな職にありつけなかった場合、外国人同士で互いの身を守ろうとコミュニティを作るのが自然な流れであり、ときにそれが日本社会と在日外国人との溝を更に深めてしまうことがあります(親和的なコミュニティも勿論ありますが)。 子供たちも同様に、よく似た境遇の者たちで寄り集まり、不良グループを形成し、街を徘徊します。ネット掲示板がソースなので信憑性に欠けるかもしれませんが、同中学校の元在校生によれば、日本人グループと在日外国人グループで対立が起きることもあったとのことです。

 「移民」が「貧困」になり「暴力」へ向かうという状況は、今欧米諸国で起きている状況を想起させます。欧米においても、貧しい移民や、過去に差別され社会に溶け込めなかった外国人が、ISIL(イスラム国)に参加したり、ISILに触発されてテロを起こしたりしています。
 奇しくも、川崎の事件の犯行グループも自らを「カワサキ国」と名乗っていたそうです。本人たちも、ふざけて名乗っていただけで、大した意図はなかったと思われますが……。
 そもそもISILが厄介なのは、直接の関係者かどうかにかかわらず、社会に「不満」や「不安」を持つ者たちに対して「暴力を行使せよ」「主流社会を破壊せよ」というメッセージを世界中に送っているところにあります。それに対する目に見えるリアクションとしては、ISILに忠誠を誓うテログループが世界中に現れたことが挙げられますが、見えないところでも、小さな不良グループあるいは、一人で悶々と「小さなテロ」を起こそうか起こすまいかと迷っている者たちが無数に存在していると思われます。
 この「小さなテロ」が爆発する土壌が、欧米だけではなく、日本にもあると言えると思います。

■日本における在日外国人に関する報道の歪み
 不思議なことですが、日本のマスコミは在日外国人の犯罪を隠蔽します。成人の在日外国人が犯罪を犯しても、職業や性別のみで名前が報じられなかったり、日本名の通り名で報じられたりします。
 マスコミが在日外国人に牛耳られている等という言説も流布されています。現実的に推測するならば、「差別を助長する」という批判を回避したいマスコミの自己防衛がはたらいているといったところではないでしょうか。
 こうしたマスコミの態度は、移民に関する問題の輪郭をぼかしてしまい、社会課題の解決を阻害しています。マスコミが正しく役割を果たすとしたら、「在日外国人が犯罪を犯した」、「その背景は何か」、「解決策はあるか」といったように事実を正確に、かつ掘り下げて伝えることでしょう。これは全く差別ではありません。
  この事件は、「貧困」と「在日」の概念を抜きにして語ることは出来ません。
  マスコミが今のままならば、在日に対する人々の憎悪が治まることはないでしょう。「感情的な問題」が「理性的な課題」へと変わるには、まだ時間がかかりそうです。



-Ending Music-









2015年2月22日日曜日

トキソプラズマ ~ネコを追うネズミ・ネコが好きなヒト~



今日は猫の日。
ところで突然ですが、猫と関わりの深い寄生性の単細胞生物があります。それが『トキソプラズマ』です。

1.トキソプラズマとは
 世界中で見られる感染症で、世界人口の3分の1が感染していると推測されている。有病率には地域で大きな差がある。ガーナでは92%もありますが、日本では20~30%と推定されています。
 健康な成人の場合には、感染しても無徴候に留まるか、せいぜい数週間のあいだ軽い風邪のような症状が出る程度でありますが、重症化した場合には、脳炎や神経系疾患をおこしたり、肺・心臓・肝臓・眼球などに悪影響を及ぼします。予防するためのワクチンは現在ありません。

2.猫とトキソプラズマの関係
  寄生生物の中には、複数の動物の体内を往来しているものが少なくありません。トキソプラズマも複数の動物を経由しますが、その最終目的地が正に「猫」なのです。 トキソプラズマは、猫の体内に入ることで初めて有性生殖を行うことが出来ます。これにより、「オーシスト」と呼ばれる卵のような耐久性の強い形態となり、糞便として外界に排出されます。その糞便をネズミ等が摂食したり、土壌の中に溶け込んで植物や水を汚染することで他の生物の体内に入ります。
 
3.「じゃあ、猫は危険?」「いいえ、まず感染しません!」
  まず、猫と触れるだけで感染するわけではないことは明確です。感染猫がオーシストを排出するのは初感染の際の数週間に限られており、オーシストを排出しているのは猫の1~2%程度に過ぎません。また猫の糞便中のオーシストも成熟するのに数日を要することから、通常の飼い猫であれば飼い主が1~2日毎にトイ レ掃除をしている為、まず感染することはありません。
 飼い猫の場合は、トイレ掃除を怠って糞を長時間放置した時に感染のリスクが発生します。
また、公園の砂場等に放置されている野良猫の糞には注意が必要でしょう。

4.宿主の行動の変化
トキソプラズマが宿主にどのような影響を与えるかは、研究がまだあまり進んでいないようですが、いくつかの研究報告があります。


(1)トキソプラズマに感染したマウスはネコを恐れなくなる。また、猫の尿の匂いに引き寄せられるようになる。
 これはネコを終宿主とするトキソプラズマの巧妙な戦略です。あの『トムとジェリー』もトキソプラズマによって引き起こされたストーリーだろう、と私は思っています…。
 

(2)トキソプラズマの慢性感染によりヒトの行動や人格にも変化が出るとする研究例はかなりあります。
統合失調症や双極性障害にかかりやすくなる
・男性は、リスクを恐れなくなる・集中力散漫・規則破り・危険行為・独断的・反社会的・猜疑的・嫉妬深い・女性にもてない
・女性は、社交的・ふしだら・男性にもてる

 

男性酷いな(笑)。オタク系の男子に猫好きが多いのは、トキソプラズマで説明できるかもしれません。

(3)トキソプラズマが宿主の行動を操作する手段としては、脳内麻薬である「ドーパミン」が使用されているとみられている。宿主が、トキソプラズマにとって都合のよい行動をしたときに、報酬としてドーパミンが与えられる。
 

 寄生生物は、自然界には当たり前のように存在しており、自分より大きな生物の行動をいとも容易くコントロールしています。それは、人間も例外ではないと考えた方が自然です。
 私が猫の柔らかいおなかに顔を埋めるのも、トキソプラズマが引き起こしている行動なのかもしれません。





2015年2月20日金曜日

首相の日教組野次を冷静に分析する


 安倍首相が19日の衆院予算委員会で、民主党の玉木 雄一郎議員の質問中に、唐突に「日教組!」と野次を飛ばし、委員長から注意を受けるシーンがありました。
 質問は西川農水相側が砂糖業界から受けた寄付金を巡る内容であり、玉木議員は日教組の出身ではないので、「意味が分からない」さらには「幼稚だ」、「精神を病んでいる」との批判が集まっています。








■安倍氏の頭の中を分析

 大体、下記のような思考経路だったことが予想できます。

「民主党」 + 「政治献金の話題」 

       ↓



     (連想)

       ↓


 「あれ?企業献金よりも、日教組の民主党への献金の方が問題が大きいのでは?」



そして、反射的に「日教組!日教組!」という野次につながる。
安倍氏の 現在の精神状態は、比較的物事は自分の思い通り進んでいて、自信を深めている状態でしょう。国会も掌握しきっているという感覚である為、マナーをも超越できる訳です。


■日教組と民主党の問題とは? 

民主党と日教組の問題については、下記参照。

中山泰秀『日教組献金事件。これ個人献金制度にして大丈夫???』
 北海道教職員組合(北教祖)が民主党の小林千代美元衆議院議員の陣営に違法な資金提供(1600万円)をしたとされる事件がありました。教職員の個人名を使って献金し、日教組のバックグラウンドがあることをカムフラージュしていた疑いがあるとのこと。

安倍氏の日教組への問題意識は下の動画で雰囲気が分かります。
-安倍晋三、日教組に宣戦布告!(2010年)-



 教育者は政治的に中立であるべき。にもかかわらず、日教組はいわゆる左翼的な独特の思想をもち、その思想に沿う特定の政治家に金銭を渡すことで、社会への影響力を行使しようとしました。これは、子供たちを特定の思想へと洗脳することにも繋がりかねません。
 安倍氏が、このような問題意識を日頃から持っている為、今回の野次のような、「連想の飛躍による発言」が飛び出したと分析できます。問題意識が強いからこそ、熱くなってしまったのでしょう。


■理性的な批判をするならば・・・

 私自身は自民党にも、安倍氏にも中立的な立場です。
  安倍氏が批判されるべきは、政治献金つながりの話題とはいえ、「質問とは直接関係ない野次を飛ばした」という点だけです。確かに、お行儀が悪い。幼稚だという批判は、的確かどうかは分からないが気持ちは分かります。但し、「精神を病んでいる」とまでは言えないでしょう。

 個人的な連想の飛躍から、他者に理解できないことを話してしまうというのは、私を含め誰しもがやってしまいがちなミスです。ロジカルにコミュニケーションをとるということは、案外難しいものなのです。

 今回の件をよく知りもせず、調べもせず批判している方の多くは、個人的な思想やコンプレックス等の理由で、政府、自民党、首相の批判をしたいという欲求を予めもっています。その為、自分の欲求に対して都合が悪い情報には耳と目閉じてしまい、感情的な批判に終始してしまうのです。






2015年2月15日日曜日

アンドロイドと人の心 ~アンドロイドが社会に溶け込むとき~

 先日、初めて科学未来館へ行きました。



 ドームシアター(プラネタリウム)が目的だったので、その他の展示は全くリサーチ無しで行きました。全体を通じて子供向けな雰囲気ですが、大人もそれなりに楽しめます。
 到着して常設展示を見に行くと、ちょうどASIMOのデモンストレーションが始まるところでした。


 不安定そうな二本足の物体がスムーズに歩く様子を子供も大人も面白がっていました。
 長らくASIMO開発は継続されていますが、デモ中の説明も含め、2足歩行の動作制御に偏りすぎている気がします。個人的には、もっとAIを駆使して、自分で外界の現象を認識し、抽象的な指示に対しても、自分で解釈して行動できるという方向に進まないかなと期待しています。クラウドも取り入れられそう。

 大阪大学の石黒教授のアンドロイドも『オトナロイド』として展示されていました。
 他のお客さんは口々に「気持ち悪い」と言っていました。石黒教授によれば、アンドロイドの容姿がヒトに近づくほど、人々は気持ち悪さを覚えるという。
 ヒトに似せた物体である「人形」に不気味さを覚えるのも同じようなことで、「ヒトであってヒトでないもの」に心的な抵抗が生じるのだと思う。
 しかし、アンドロイドがさらに人に近づいていけば、その気持ち悪さが消える瞬間があるはずであり、その瞬間が、ヒトとアンドロイドの境界を考える上で重要なポイントとなる。 





 
 もう一つ考えさせられるのは、このアンドロイドが「インターフェース」の役割を果たしているということです。
 実演の時間では、科学未来館のスタッフが、このアンドロイドを操作し、声を発して、「客いじり」をしたり、アンドロイドの説明をする。この時、このアンドロイドは人と人との間を繋ぐツールとなっているのです。こういう形のスマホだと思ってもいいと思う。スマホと異なるのは、「ヒトの形」をしていることであり、このアンドロイドと相対した時、本物の人と対峙している時と同様の心的現象を相手に引き起こすことができる点にあります。アンドロイドであっても、じっと見つめられると気恥ずかしく感じるものだし、笑顔を向けられるとこちらもつられてしまう。
  このインターフェースは、「ヒトの形」というツールを利用して、相手に何らかの心的現象を引き起こすことができるということです。
 だから、そんなアンドロイドを使って気安く「客いじり」をするのはやめてもらいたい(笑)

 そんなアンドロイドの特性を最大限活用したのが、『テレノイド』です。



 

 「ヒトらしきもの」をツールとしているロボットの他の例としては、ソフトバンクの『Pepper』があります。こちらは、ヒトの姿に似せるのではなく、AIにより「ヒトらしい会話」をすることで相手に「ヒト」を感じさせるものです。 



 ASIMOは動作をヒトに似せようとしているが、それよりも姿や会話によってヒトらしさを感じさせるロボットの方が直接的かつ深く人の心に訴えかけるものがあるので、早く社会に溶け込んでいきそうです。

 個人的には、精巧なセクサロイドができれば、人々の抱える悩みや、多くの社会問題が解決に近づく気がします。この話は長くなりそうなので、またいつか。



- Ending music -





2015年2月11日水曜日

本当はテロと相容れないイスラム教 ~宗教とテロを再考する~

 真っ当なイスラム教徒はテロとイスラム教は関係ないと訴える。
 確かにそうだなと思いつつ、ちゃんと考えたことがなかった為、私なりに整理してみた。
  

テロの根源にあるもの
 テロが起こる条件は、そもそも何だろうか。 大きくは2つあると思う。

1.無政府状態(政府があっても正規軍が脆弱)
2.社会への不満(貧困、不平等、失業、等)


 厳しい現実を直視できないままもがいているうちに、有り余るエネルギーやネガティブな感情をぶつける方法を模索する。そんな時、生き生きとした活動的な同世代の若者と出会う。彼と意気投合し、彼の仲間の元へ連れて行ってもらうと、それがテロリストグループだった。
 大体、そのような流れだろうと思う。



テロを起こすのはイスラム教だけではない

 イスラム教だけが、テロを引き起こしやすい宗教なのだろうかと少々調べてみたが、どうやら違うようだ。イスラム系以外の過激派の例は下記の通り。


カトリック系

プロテスタント系

※イスラムとの和平を説いたガンディーを殺害したのもヒンドゥー過激派



本当はテロと相容れないイスラム教
 聖典コーランの教義を素直に読んでいけば、テロが入り込む余地はないようだ。但し、テロリストに都合よく悪用されやすい記述も確かにある。


イスラム教の神の摂理の下では、誰も正当な理由無くして捕虜になることはない。戦争捕虜は唯一、通常の宣戦布告がなされた戦争や戦闘の場合のみにとらえられ、他の理由や口実の下にはとらえられない。聖コーランは以下の様に述べている。
「正規の戦いで打ち負かした敵に非ざれば、捕虜とするは預言者には相応(ふさわ)しからず。」 (8:68)



「おお、人々よ、あなたがたはまだ戦争の捕虜を扱っている。故に、私はあなたがたに助言する。あなた方が着る服、食べる食物と同様な物を彼らにも与えるように…..。彼らに痛みや苦悩を与えることは決して許されない。」



「戦争が終わったら、捕虜たちは恩恵の行為として、または身代金の支払いにより、 または相互交換交渉によって解放されるべきである。」



 ジハードは大きく2つのカテゴリーに分けることができる。
 第一は偉大なるジハードである。これは罪深い性向を抑制する自分自身の人格に対するジハード、すなわち自己の浄化である。これは最も困難なジハードであり、故に報酬と祝福の観点から見れば最高のカテゴリーのジハードである。
 第二は、小ジハードである。これは剣のジハードである。これは共同参加のジハードであり、ある特定の条件を前提とする。コーランが語っているのは、イスラム教徒を先制攻撃した者に対する戦闘のみであり、これは聖コーランの他の詩にも規定されている。



平和を乱す全ての営みと活動はイスラム教では厳しく非難されている。聖なるコーランには特定の禁止命令が見出せる。
「そして、地上が整えられた後、無秩序を起こしてはならない….」 (7:57;11:86; 29:37)
危害や邪悪は他のいくつかの詩でも非難されており、イスラム教徒はひとえに平和のために力を尽くすように命じられている。



全ての宗教の信者の基本的結束が聖なるコーランで力強く繰り返し強調されている。
「げに信ずる人々、ユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにサービア人たち、(注61)そのいずれたるを問わず、アッラーを信じ、最後の審判の目を信じ、善行を積む人々は、主より必ず報奨を賜わらん。而して彼等には、恐ろしきこと悲しきこと起らざるべし。」(2:63)


イスラム教のことがよく分かる良サイトです。




テロの起点は宗教ではない
 テロリストの精神状態はある種の恍惚に包まれていると思われる。悪なる存在(政府、他宗教、他国、等)を打倒する為に命を懸け、安定や幸福とは無縁の人生観をもつ。
 そんな生き方を、銃や火薬だけでなく、宗教で武装する。自分は聖典の長大な歴史の中の一部であり、自分の行動はすべて神や天使の啓示によるもの、即ち聖なるものであると、心から信じることができる。常軌を逸する行為も、教典の解釈の変更により速やかに正当化される。
 テロリストのコーランを開いてみれば、きっと黒く塗りつぶされた箇所が無数にあるに違いない。彼らにとって、都合の悪い箇所が多すぎるからだ。


 人間が爆発的なエネルギーを放出し、常識を超えた行動を起こそうとするとき、宗教は効果的なツールになる。その行動が、創造的なものであれ、破壊的なものであれ。
 「創造」の例としては、ヒッピー時代に禅宗や般若心経に執心していたスティーヴ・ジョブズが有名。



宗教を盾にするテロリストの図

 ※あくまでも「テロリスト」を表現したものであり、アッラーを戯画化したものではありませんので、悪しからず。






2015年2月8日日曜日

「壁ドン」してほしい… ~焦燥の日本女性~

流行語の「壁ドン」が、2014年ユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた。

「壁ドン」は、ご存じのとおり「男性が女性を壁際に追い詰めて手を壁にドンと突く行為」である。
こうしたシチュエーションは、漫画やアニメで昔からよく使用されたもので、登場人物の男女関係を示す記号的役割を果たしてきたのだが、その行為自体に明確な名称がつけられていなかった。
2008年に声優の新谷良子が「萌えるシチュエーション」として「壁にドン」という言葉で紹介したのが初出と言われており、2014年にSNSを介して「壁ドン」として急速に広まった。

 皆がなんとなく気になってはいたが名無しだった概念に、名前が付くことは気持ちの良いことである。現在は、若い女性が中心となり、嬉々として新しく誕生した言葉「壁ドン」を活発に使い、その習熟度・認知度を向上させている段階である。 
「壁ドン」が流行したのには、下記のような社会的背景があると思う。

■社会的背景1:『女性活躍』というスローガン
 日本は国際的に見ても女性の社会進出が難しい社会である。そんな社会であるがゆえに、女性が価値を示すには、良い結婚をして、良い子供を産み育てることである、という旧来の価値が根強く残っている(ここでは旧来の価値の是非は置いておく)。
 そのような社会を変えようと、政府から「女性活用」「女性活躍」というスローガンが掲げられ、社会は概ねその方向に向かいつつある。しかし、多くの女性 は、まだ女性が活躍する社会をイメージできず、旧来的な価値を保持しており、出来ることなら家庭に入って、家庭を守りたいというマインドが未だ優勢のように見える。
「女性を労働力にしようとする政策」「心の準備が整っていない女性」との間にあるギャップが、今は大き過ぎる。故に女性にとって今の社会は、「本当は労働から逃れ、責任を負わされることのない安住の地でずっと穏やかに暮らしていたいのに、社会はそこから引きずり出そうとする」というストレスフルな状態なの だ。
 このような状態が、自分を支配し外界から守ってくれそうな「壁ドン」男性への憧憬を抱かせる一因となっていると思われる。
■社会的背景2:『草食系男子』の存在
 積極的に異性と関わろうとしない男性に『草食系男子』という名称が与えられ、当初は「男らしくない」という批判的なニュアンスで論じられることが多かっ た。だが今では、そういう人種が相当数存在し、おそらく漸増しているという事実が受け入れられ、草食系が存在してもよいという認識が広まった。そうして草食系も市民権を得るに至ったのである。近年では、無性的な人生を歩もうとする『絶食系男子』も注目されつつある。
 そこで困るのが女性である。女性は身体的構造からして、生殖行為の基本的態度は「受動」である。勿論、人間の女性は理性的な意思決定によって行動するが、 心理的にも、生物学的な雌としての影響を強く受ける。したがって、往々にして生殖の起点は、男からのアプローチなのである。(※あくまでも、心理学的な傾向であり、個人差はあります)
 にもかかわらず、草食系男子の登場により、生殖を実現するには、自らが「肉食系女子」となり、女性からアプローチしなければならなくなったのである。これは、一般的な女性には大きな心的ストレスである。
 このような社会において、「壁ドン」してくれるような積極的な男子は崇高で理想的な男性像なのである。
■社会的背景3:処女の増加
 「壁ドン」以前にも、理想の男性が女性を迎えに来てくれるイメージとして「白馬に乗った王子様」がある。他にも、グリム童話の「白雪姫」や「ラプンツェ ル」、さらにはスーパーマリオのピーチ姫など、姫が王子の登場を待ち望んでいるという原型的な心理が反映されたストーリーが多く存在する。
 「壁ドン」願望をもつ女性は、こうした物語における姫願望をもっていると見てよさそうだ。そして、そうしたメルヘンチックな姫願望をもつ傾向にあるのが、現実の性を知らない処女である。
 若者の性体験率は、2005年あたりをピークに現象を続けている。女子大学生に限ってみれば、2005年は61.1%だったが、2011年には46.8% にまで下がっている(財団法人日本性教育教会調べ)。(※ただし、今と昔では「大学生」の価値が異なること、2011年は震災があった特殊な年であったことという無視できないバイアスが含まれている)


 若い頃に機会を失えば、そのまま処女で居続ける女性の割合も多くなっていると予想できる。故に、「壁ドン」願望を持つ女性も増えるのだと考えられる。
 そもそも、この流行は処女かつサブカルチャーに親和性の高い『腐女子』が盛んに広めたものだとも考えられるが。


 以上をまとめてしまうと、「壁ドン」が流行ったのは、心の準備ができてないうちに女性を労働力にしようとする雰囲気が社会に立ち込め、女性に焦りが募る一方で、性欲旺盛な男性が減少し、性行為の機会をもてないまま、創作の世界の理想の男性像を強く求めた結果である。
 いずれにしろ、2015年には流行が終わり、普通の言葉としてそれなりに定着し続けることになるだろう。そして、日本の抱える性の問題が現状のままであれば、女性の不安や焦燥を背景とする別の新語が流行することになるのだろう。


教育の構造的改革 ~問題解決の為のある構想~

1.問題点まとめ

前回記した、日本の教育における構造的問題についてまとめる。


①教育の陳腐化
  • 社会は学歴を求めるが、学歴では実社会で必要な能力を測れないというギャップが生じている。
  • 教育課程で実践的な能力を身に着けることができない

②政府の教育投資の不備
  • 政府の教育投資は幼少段階高等教育段階足りておらず、個人が大きな負担を背負っている。
  • 政府の施策は、カリキュラムにコミットすることと、金銭的な支援くらいで、教育を取り巻く日本の社会構造自体に変化を及ぼすような改革は期待できなさそう

③教育コストの高騰
  • 教育コストが少子化の最大の要因である。
  • 親の教育への投資能力の差により、教育の質の格差、ひいては経済的格差が生まれている。


2.一つの提案


教育を取り巻くこれらの問題を根本的な解決のためには、社会構造そのものから見直さなければならない。

生命の社会化』のページで少しふれたが、国が子供を引き取り教育のコスト・質の保証を行わなければならないのではないかと考え、下記のような仕様の「国立教育センター(仮)」を構想してみた。

A.生活
  • 子供が生まれたら「国立教育センター(仮)」に預け、育児・教育を全て託す。
  • 子供は基本的に施設で生活するが、親とは自由に面会したり、ネットワークを介してコミュニケーションをとることができる。

B.カリキュラム
  • 心の発達において重要な時期である幼児期には、心理学的に適切な母性・父性、刺激、体験を与える。(学術的に正しく、バラつきのない方法に基づくことが重要。一般家庭でもこの段階で失敗しているケースが多く見受けられ、これは子供本人にも社会にも多大な損害を与える)
  • 基本的な教育方針は、全ての日本人をグローバル社会で活躍でき、事業を起こす能力をもつ人材とすること。
  • 英語、プレゼン力、経営学、ICTは必須。さらに、ロジカルシンキング、心理学も学ぶと望ましい。教育の後期には、実践的な職務遂行能力、組織運営・経営のノウハウを実地で学ぶ。
  • 基本的な教育カリキュラムは行政の綿密なプログラムに従って作成され、実行される。
  • 教育方針には、ある程度の選択肢があり、本人や親が選ぶことができる。
  • 親が育成により強く介入したい場合は、後述する「子ども債」を購入することで、オーナーシップを向上させ、教育にオプションをつけるなど、口を出すことができる。
  • 大学相当の教育まで実施の上、就職・起業支援まで行う。




 C.教育コスト

 この仕組みを運営するには莫大な資金が必要である。税金だけでは賄えない。そこで、下記のような仕組みを考えた。

  • コストは国が一旦負担する。国が債権者として債権を保有し、子供本人が債務を負う。
  • この債権を「子ども債」と名付ける。(日本社会は、子どもを中心に物事を考える為、既存の国債とは別に取り扱う方が資金を集めることができると思う)
  • この「子ども債」は、親だけでなく他人も購入することができる。
  • 本人が仕事を始め所得が発生するようになったら、所得税で債務を返済する
  • 返済し終わったら、税率が下がる。
  • 引き続き支払い続ける税は、債券保有者への配当や次世代のために使われる(貸し倒れもこれで充当)。次世代に負の遺産は残さない。
副次的効果として、親も自分のキャリアや自己実現を諦 めなくて済む効果がある。子供が生まれると、その時点から保守的な人生を歩まねばならないと考えてしまう傾向がある。しかし、子供を産んでも膨大なコスト を支払う必要もなく、教育方針に悩まされることもないのであれば、人の親になっても個人として生きることができる。逆に言えば、子供を理由に挑戦しないと いう選択は出来なくなる。




   
 この手法は、「子供と教育は未来への投資」であるという考えに基づく。これは綺麗ごとでも何でもない。子供を産むことは、会社に例えれば、「新事 業の立ち上げ」であり、教育はその事業へのリソース投入やコンサルティングに当たる。新事業を上手く成長させることができれば、新たな収益の柱となり、即ち家族を支える存在となる。
 しかし、今の日本は十分な資本を持つ者でなければ、「子供」という新事業を立ち上げることはできない(資本がなければ、その名の通り「問題児」の事業になる)。
 この状態に対するブレイクスルーは、「ベンチャー・キャピタル」や「クラウドファンディング」である。つまり、子供への投資をオープンに募るのだ。
 同時に、債権者は教育に対して強くコミットし、子供を稼げる人材に成長させようという力が働く。債権者の意思を汲み、教育を改善するのが、子供を親から買収した「国立教育センター(仮)」である。

 最近流行のピケティによれば、日本の所得上位10%の人々の資産が日本の総資産に占める割合は、48.5%にも達する(欧米に比べればまだマシだが…)。つまり、日本の富の半分は上位10%お金持ちが独占している。そのだぶついた 富が向かう先は金融商品あるいは不動産である。
 この投資の流れを少しでも、次世代の「人」へ向ける為に、上述の「子ども債」のようなものが必要ではないか。格差の是正方法は、お金持ちから収奪することだけではないと信じている。但し、投資である以上、一定の利回りを期待できるものにしなければ、投資家の目を引くことは出来ない。
 次世代の「人」に投資すればするほど投資家が儲かり、日本社会の教育格差そして経済的格差が是正される。そんなシステムになるのではないだろうか。
 



教育の構造的改革 ~教育の構造的問題~

1.背景

 一般論だが、多くの人は、他の子供と自分の子供を差別化し社会的に優位な地位に立たせたいと考える。日本において個人の優位性を示すには、アイデンティティ を示すのではなく、社会で共有されている指標に対して、自分がどれくらいのレベルであるか示すことが重視される。その指標の典型が「学歴」となっているの が現状だ。
 教育の本来の目的は、社会の中で大きな価値を生み出せるようになること、世界を知り人生の選択肢を狭めないこと、学びの習慣を身に着けること、精神的な成長を促進し心を豊かにすること、といったことだろう。

  教育コストと格差の問題もある。高額なコストを支払えば、有名私大付属の幼稚園や小学校に入れることができる。そうして受験のストレスを回避しつつ、社会 的地位の保証を購入することができる。私立校は集まった資金で教育の質を高め、またそこに人とカネが集まるという循環ができる。
  一方、多額のコストを支払うことができない家庭の子は、公立校の貧弱な教育を受けることになる。有名な大学に入るためには、学校外の教育サービス(塾な ど)を利用して勉強することになる。近年ネットを活用した教育サービスが増加し、教育が民主化されつつあるが、ここでも相応のコストが必要になる。

 そもそも、教育が学歴を得るためのもの、テストの点数を取るためのものに成り果てており、自己目的化している。点数稼ぎの教育は唯の記憶行為であり、学びではない。教育に多大な時間とコストを費やした筈なのに、教育課程で学ぶ事柄と実社会で求められる能力には乖離がある為、社会に出ても何の役にも立たない。
 教育は国家の戦力となる人材を育てるという社会的な側面もあるが、それだけではなく、個人が「知」という武器を手に入れ、出自や性別などに関わらず行動や職業を選択できるようするものだった筈だ。


2.家計の教育支出

文部科学省のホームページによれば、下記の通りだ。


  • 大学卒業までにかかる平均的な教育費は、全て国公立でも約1,000万円、全て私学だと約2,300万円に上る。
  • 子供1人が大学生になった段階での家計の貯蓄率は、-10.4%である。(負債を負っている)
  • アンケートによれば、教育費の高さは少子化の最も大きな要因の一つ。


 文部科学省は予算が欲しいため、家計に教育の負担をかけすぎているとアピールしたい面もあるだろうが、この内容は一般の感覚とそれほどかけ離れていないだろう。

 3.教育への政府の投資
  政府も何もしていないわけではないが、教育への投資は量的に十分だろうか。それは正しい方向に向けられているだろうか。
 次の図は、日本のGDP比の対高齢者向け支出と対家族・子供向け支出を「1」として、他のoecd加盟国と比較したものである。超高齢化の日本とそうでない国を正しく比較する為、少子高齢化の影響を調整してある。






  図中の点線より左の国は日本以上に高齢者に支出しており、右の国は日本よりも次世代のために多く支出していることになる。日本よりも高齢者に多くの支出を費やしている国は、アメリカと韓国しかない。
  多数決の原理に従う民主主義の下では、与党・政府は若者世代ではなく、高齢者に耳を傾けざるを得ない状況であることが読み取れる。政治家自身が中高年であ ることも高齢者への共感を過度に高めている可能性もある。また、世界的に見ても日本人は投資が下手であるということも影響しているかもしれない。
 日本以上に苛烈な受験戦争と学歴格差が生まれ、少子化が進んでいる韓国が、このような結果になっているのは納得できる気がする。恋愛・結婚・出産を放棄しなければならない今の韓国の若者は、一部では「三放世代」と呼ばれている。若者世代への支出が少ないことも影響していそうだ。(そもそも全ての国民に対する支出規模が小さい、国民に厳しい国であることも読み取れる。現状は、政治に失敗している韓国政府への国民のフラストレーションを日本が請け負っている側面もある)
 日本は韓国を反面教師にしなければならない。



日本政府の教育白書もざっと目を通してみた。

「学びのセーフティネット構築」という言葉から、どのような貧困家庭でも、高度な教育が受けられるようにする仕組みなのかと期待した。しかし、金銭的な支援と防災の話に終始しており、全ての人が高いレベルの教育を受けられるインフラを整備する構想ではない。あくまでも、ハコモノに軸足を置いたものだ。

各教育段階のどこに投資が不足しているかは、このサイトがよくまとまっている。簡単にまとめると、下記の通りだ。

  • 義務教育以前と高等教育の段階で投資が足りていない。(小中学校は足りている)
  • 不利な経済状況にある家庭の児童は小学校入学時点で既に、豊かな家庭出身の児童に学力差をつけられている。
  • それがその後の低学力・低学歴へとつながり、大人になって再び不利な社会経済状況に立たされる
  • 貧困の連鎖を断ち切る事を考えた場合、就学前教育は非常に重要になってくる。


次回は、教育に関するこれらの構造的問題に対処する為の私の考えをまとめる。


生命の社会化シリーズまとめ



生命の社会化 ~子供は社会が育てるもの~

 日本でパックスや事実婚を広め、気軽に子供を産めるようにするのもいいのだが、夫婦間の拘束力が弱まるため必然的に片親の子供が増加することが予想される(フランスの婚姻とパックスと事実婚の離婚率の統計があればよかったが、探し出すことができなかった)。
 どのような家庭でも一定水準の養育・教育を享受できるシステム(セーフティネット)がなければ、いたずらに貧困家庭を増やすことになってしまうだろう。堅牢な婚姻制度は、「育児システムとしての家族」の形状を安定させるための装置でもあるのだ。

  昔のように祖父母が育児に協力してくれれば、若い夫婦がガンガン働いて稼ぐことができるのだが、祖父母が協力してくれない、あるいは、そのような環境にないほとんどの核家族は、特に母親が育児に体力と時間を費やしてしまい、まともに働くことは出来ない。行政サービスはキャパシティオーバーだし、民間サービスは高額である。核家族は、生産性の高い若いうちに、資産を増やすことができず、運が悪ければ高コストな民間サービスに頼らなければならない。祖父母が育児に参加するかどうかで、大きな格差が生まれるのである。
 社会的には、父母だけが「働け。そして育児もしろ!」と責め立てられがちだが、一族の資産を増やしたければ祖父母も育児に参加すべきということを、高齢者たちには自覚してほしいし、祖父母に子を託すことに遠慮は要らないという社会的な共通認識が醸成されるべきだと思う

  しかし、現実的な問題として、物理的な距離の問題や、人間関係の問題で、祖父母と協力しながら育児のできない夫婦も多く存在する。都市部に住んでいる夫婦が、田舎から祖父母を呼び寄せるなど考えにくい。普通は一緒に住みたくないし、祖父母の住宅を別に用意する金銭的な余裕はない。

 ならば、「子供は社会で育てる」という認識の下で、国家的に養育・教育システムを組むことはできないだろうか。簡単に言えば、国が子供を完全に引き取って、養育・教育するのだ。そうすれば、親の責任や金銭的負担を軽減させることができる。更には、そもそも婚姻に頼らずとも子供を作りやすい社会になるのではないだろうか。
 考え方を下図に示す。





 悪く言えば、国が親から子供を取り上げてしまっているようだが、良く言えば、日本人として生まれた生命を漏れなく社会全体で支えるおせっかいなほど手厚いシステムと言える。
 昔は、コミュニティ全体で子供の面倒を見ていたとよく言うが、その延長として捉えてもらいたい。『日本村』といった風情だ。
 ここまでドラスティックな政策を打ち出せば、国民のマインドは変化し、安心して子供を産める国になるのではないか。この仕組みの詳細は別のページで説明する。


生命の社会化 ~結婚の常識を壊したフランス~


男女の在り方や結婚の形態については、もっと選択肢を広げるべきである。
フランスでは結婚には3つの形態がある


  1. 日本のように婚姻関係を結ぶこと。
  2. パックス(PACS:連帯市民協約)という、1999年に開始された、2人の個人間で安定した持続的共同生活を営むために交わされる契約。
  3. ユニオン・リーブルという婚姻関係もパックスも結ばない、法的手続きを踏まないつながりを持つこと。オランド大統領とファーストレディの関係はユニオン・リーブルである。

婚姻の種類の全体の割合は下記の通り。
  1.  婚姻関係:2320万人(全体の73.1%)
  2.  パックス:138万人(4.3%)
  3.  ユニオン・リーブル:717万人(22.6%)
(仏国立統計経済研究所調べ;2011年時点)参考

 しかし、最近の単年でみると、パックス婚が急速に増加している。
 2008年の婚姻件数は27万3500件であったのに対し、パックス婚は14万6千件に達したのである。

 婚姻とパックスの大きな違いは、婚姻関係における離婚は裁判官による審理が必要となるが、パックスは両者の同意は必要なく簡単に契約破棄できる点にある。また、パックスは同性間でも可能である。
  個人が多様であるように、人と人との関係もまた多様であるはずで、日本においても外面は同じ婚姻でも、夫婦の関係性は様々だろう。私自身の婚姻も、概念的にはパックス婚に近い。どちらかが離婚したければしてもよいし、子作りのための関係でもない。他の異性と交際することを制限しないことにもなっている。かといって、お互いに性的欲求がそれほど高くないため、その権利を行使することは今後もないだろう。このように、共同生活をし社会的な優遇を受けつつも、個人や自由を尊重する男女関係も存在しうる(我が家がちょっと特殊なのかもしれないが)。日本には、旧来的な婚姻制度しかないため、それに頼るしかないのだ。

  パックス婚自体の考え方も参考になるが、古い婚姻の概念を残しつつ、現実の問題を解決するために新しい選択肢を作ってしまうという手法自体も日本は参考にできるだろう。
 特にフランスは、カトリック系の宗教をこじらせたやっかいなタイプの保守派が存在する。そうした保守や頭の固いお年寄りにも受け入れられる新しい社会制度を作ろうとした場合、この考え方は重要だった。古いシステムを派手に破壊するのではなく、古く形骸化したシステムと新しい有効なシステムを並列させ、じわじわと古い方を無意味化していくのだ。

  婚姻の概念を変化させるには、これまでの道徳を疑うような価値観の転換が必要だ。我が家の婚姻の概念について他者に話をすると「他の異性と交際することを制限しない」という部分にとりわけ不快感を示す人が多い。これは、配偶者が別の異性と交わることを、異性を独占したい動物的な本能が拒んでいるためだろう。 また、特定の人間が複数の異性を独占することは、男女受給のアンバランスが起きてしまうという考えが働き、それが性的な道徳へと変換され、男女一対の美徳 や不貞への憎悪を生み出していると考えられる。このような、感情や道徳の壁を乗り越えなければ、日本における現在の価値観、ひいては現状の婚姻制度に楔を打ち込むことはできないだろう。 
 フランスの婚姻制度の底流にはおそらくカトリックの保守的な思想が流れており、それがあまりにも深刻で重たすぎるものになっており、結婚も離婚もひどく面倒 である。そのため、現代のフランスの若者にとっては受け入れ難いものになってしまった。
 それに比して、日本は結婚も離婚も紙切れ一枚あれば済んでしまう。 集団主義の日本において婚姻制度を重たいものとしているのは、専ら「世間の目」を気にしすぎる点にある。この「世間の目」を柔らかくするためにも、婚姻に対する価値観を日本全体で変えなければならないのだ。

 そもそも現代日本の結婚観は、明治時代に欧州からもたらされたものだ(参考:人類婚姻史)。当の欧州が結婚の概念を見直し始めているのに、日本は彼らからプレゼントされたものをいつまでも大事にしている。結婚観にしても、憲法にしても、物持ちがいいと言うべきか、慎ましいと言うべきか…。
 男女一対の美徳、婚姻と出産の癒着といった観念を緩めれば、採集部族としての日本人が、縄文から明治にかけて行ってきた男女複数同士の緩やかなつながりの中で子供を作る種族保存方法に近づくことになる。その方が、日本人には合っているのではないだろうか。私たちは過去に戻ることは出来ないが、新たな方法で日本人に適合する種族保存方法を見出していく必要があるように思える。