2012年12月12日水曜日

精神病的症状とフェティシズム

精神病とフェティシズムについて独自の観点で考察してみます。

フロイトは足や髪、衣服などを性の対象とするフェティシズムは
幼児期の体験に基づくものと考えています。
確かに、口唇期や肛門期の快楽が成人になっても遷延されて、
通常の性欲と絡み合ったというフェティシズムの形態はあると思います。

以下は、フェティシズムの一つの素因として
精神病があるのではないかという話です。

少しネットサーフィンをして調べてみましたが、
精神病の症状に対する不安や、そこから逃避しようとする意図が、
性の様式を歪めているというメカニズムで
論じているものが多いと感じました。
その可能性もあると思います。

しかし、私は別のアプローチで考えてみました。
私の仮説は要するに、フェティシズムは精神病的症状を
再現しようとして引き起こされる、ということです。
例を挙げてみます。



■例1:離人症とゼンタイフェティシズム
離人症というものがあります。
これは統合失調症や極度の疲労状態で起こるもので、
他者や身の回りの事物との間に分厚い壁があって、
自分と関係があるようには感じられない、
という感覚が起こるものです。

この無い筈の壁は不安を引き起こします。
そこで実際の壁を作る、すなわち、全身タイツを着用することで
世界との間に壁を築きます。
 その瞬間の外界との隔絶感は全身タイツによるものなので、
離人感から解放される。

全身タイツで人目にさらされた時、確かに他者はこちらを見るが、
「自分を見ているようで、見えていない」のです。
これは正に離人感の再現です。
他者が、自分の存在には気づくが、
自分のことがはっきりとは見えていないという原因を、
全身タイツに帰することができるので、
隔絶感による不安から解放されるのです。
全身タイツ以外にも、マスクや仮面、ラバースーツなどで
外界との隔絶感を再現することもできます。

■例2:自閉症と拘束フェティシズム
ここで扱う自閉症は、発達障害の一つの自閉症ではなく、
統合失調症の症状としての自閉症です。
ブロイラーによれば、自閉症は
「内的生活の比較的あるいは絶対的優位を伴うところの現実離脱」
と定義される。
こうした人間における外界は、もはや現実的意味を失い、
自分だけの空想的世界にのみ生きる。
外部からは寡黙で人を寄せ付けぬ冷たさと映る。
ミンコフスキーは「現実との生きた接触の喪失」と規定し、
かつ貧しい自閉と豊かな自閉とを区別した。
自閉の中にも非現実的ではあるが
空想豊かで行動的なタイプのあることを示した。

こうした「外界を捨て、内界に篭る」という
自閉症の特徴に着目したい。
自閉症者は、外界と関係を持てずに焦燥感を覚えます。
そこで、自分の体を拘束してしまうのです。
拘束されることで外界と関わる術を失っている為、
心置きなく外界との関係を断絶し内に篭ることができるのです。



このように苦悩や違和感をもたらす精神病的症状を
敢えて物質的に再現することで、そこから解放されるのです。
あるいは、外界とは相容れない精神病的状態が
その人にとっての理想の現存在様式になっていて、
その状態を明確に表現することにより
快楽を得ることができると考えるのです。

2012年12月9日日曜日

障害者考

今回の記事は単に私的な障害者への認識に関する話であり、
障害者を大事にしましょう、といった
真面目腐った話でも、
教条的な話でもありませんことご注意を。



無意識的かつ残酷なまでの合理性をもつ社会において、
障害者は闇だ。

ある者は障害者を遠ざける。

ある者は障害者に対して目を塞ぐ。

ある者は障害者に対して過保護になる。
……これには良い面もあるが、
頭ごなしに障害者を"全面的"弱者として見做すことで、
劣っている部分ばかりを注視する意識、
劣っているものを補完してあげようという意識が高まる。
障害者の持ち得る正常に機能する多くの部分、
当たり前の感情、絶対的な本能(特に性欲)、
これら健常者と変わらぬものが、そこでは抜け落ちている。
大きすぎる善意が障害者を総体的な一個人として見做すことを阻害し、
障害によってのみ障害者を同定する思考に陥り、核心を闇に葬っている。

この「障害者に対して過保護な人」の無意識的な目的は、
実のところ障害者を助けることではなく、障害にコミットすることで、
自らが困難を克服する疑似体験をすることのように思われる。
それだけに、視野を狭め、障害者のウィークポイントを
熱く注視することに意味が発生する。
社会的互恵関係を築いている実感は、自らの心理的報酬になり得るものだ。

彼らの爛々とした障害者への眼差しには、
私を含め多くの人が気味悪く感じているであろうし、
障害者自身も同じような不気味さ(即ちバリア)を
感じているのかもしれない。(バリバラの出演者も同様の発言をしていた)
ただ、行為自体は利他的であることに間違いないところが複雑だ。
障害者が感じる
「良い事をしてもらった際に生じる
 感謝の気持ちと同時に湧き立つ得も言われぬ違和感」
が言語化しづらい感覚である為、
しばしば単に「バリア」と表現される事が多いようだ。

障害者でも、自己中心的だったり、攻撃的だったりして、
まともに付き合えないと思えば、突き放せばいいし、
意見が食い違えば、討論してもよいと思う。
それが普通の人と人との付き合い。

社会が必要に応じて障害者の生活を支援することは、
第一義的事項であることが明確なので、
斜に構える当ブログが特に言及することはないが、
以前から長年(教育課程からか?)
世間の障害者に対する眼差しに違和感を覚えていた為、
私自身の中で改めて咀嚼し、頭の中を整理しておきたかった、
というのが今回のお話でした。

上述のようなことは、専門書なんかでは、
当然に書かれている事かもしれないし、
日常的に障害者と接している人が、
自然と身に付けている態度なのかもしれません。


そういえば、フェティッシュな業界で有名な
黄金咲ちひろさんという方が
障害者にSMプレイをするという活動をしていたのを思い出した。
マゾヒストの障害者に遠慮無く鞭を打てたら
それは、「真のバリアフリー」だ。


2012年12月8日土曜日

NHK「バリバラ」~障害を笑いに~


NHKの「バリバラ」SHOW-1グランプリを見た。

内容は、途中松本ハウスの統合失調症コントを挟みつつ、
7組の障害者が漫才やコントをするというもの。
笑いとしてイマイチなものもあれば、完成度の高いものもあったが、
そもそも試みとして面白い。

コンプライアンスという言葉に抑えつけられ、
気の抜けたビールのような番組しか制作出来なくなった
民放にはできない番組でしょう。

笑いという枠組みにおいて、障害は単なる「他者との差異」であり
観客に「新たな気づき」を与える有効なツールとなる。
あるあるネタにはうってつけだ。

SHOW-1グランプリは年々レベルが上がっているとのこと。
障害という大きな武器をこれ見よがしに振りかざすのではなく、
バリアを忘れさせるまでにネタのクオリティを向上させ、
プロの芸人を「やられた」と思わせるほどの
出場者がもっと現れてくれば、この試みは次なる段階に進めると思う。

それにしても、出場者の一人のTASKEさんには、
コメンテーターのタレント達もどう受け取っていいのか迷っているようだった。
迷うのも無理もない。TASKEさんがぶっ飛んでいるのは、障害とは無関係だからだ。

5年くらい前、mixiをやっていた頃、マイミクのマイミクに
TASKEさんがいたのを記憶しています。
その頃からぶっ飛んでいたので強く印象に残っていました。

この番組では、以前「障害者のセックス」についても取り上げており、
これらを見た際に、障害者について改めて思うところが
自分の中に沸々と現れてきたので、近いうちに記事にします。




2012年8月13日月曜日

デザインフェスタvol.35

随分古い話ですが、デザインフェスタvol.35に行ってきましたので、
その様子を紹介します。

偉伝或(ソードパフォーマンス集団)
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デザインフェスタは散々歩き回ってくたびれても、
座って休憩する所がほとんどありません。
仕方なく屋内ステージの観客席に座りました。
そこで丁度始まったのがこれでした。
なかなか見応えがありました。

・鳥肌翼賛会
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鳥肌実さんにも会えました。

氏賀Y太×キリュウレイアUZIGA
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GlamorousGrammar
ここでポストカードを買いました。
隅田かずあさ

個人的にデザインフェスタに若干のマンネリ感を覚え始めていたのですが、
今回は面白いアーティストさんが多かった気がします。

2012年5月18日金曜日

『性倒錯─様々な性のかたち』ジェラール・ボネ(PART4)

part4です。このシリーズはそろそろこの辺にしておきます。


露出症
・露出症は他の殆どの倒錯と同じように、同類の行為に対して排他的である。ヌーディズムや挑発的な見せ物を歓迎しない。

・1900年、ガルニエの露出症の定義
「露出症とは、執拗で衝動的な性倒錯であり、時間と場所をある程度決めた上で、公衆の面前で弛緩状態にある性器を卑猥で挑発的なやり方をとらずに見せびらかしたいという欲求を特徴とする。この行動の中には、露出症患者のあらゆる性的食指が凝縮されているのであるが、行動に移すことによって、頭から離れることの無かった執拗な戦いに終わりを告げ、やがて幕が閉じられることになる。露出症者は、自分の性器を見せびらかすことによって得られた心的反応によってしか快楽を得ることができない。」

露出症の様々な形(エイガー)
・非直接的な露出:手紙やメールなどでみだらな写真を送付する
・何かを仲介させる方法:自分やパートナーの私的な写真を作成し、ネットやビデオ等で広める。
・愛の営みの露出:車の中、公園、海岸などで営みを見せる方法。
・自分の子供への露出:リベラリズムの名の下で見せる方法。
・社会的露出:人生において成功するために、何としてでも人から注目される必要がある場合。深層に性的な露出欲を同じ程度持ち合わせており、ポルノ制作を助長するものである。

病的症状

①仕草:性器を見せつける方法は様々である。それは、行為であるサディズム、実践であるマゾヒズムとは異なり、人類学の範疇に分類される。これらの仕草には、わいせつ、侮辱、破廉恥といった意味が内包されている。

③他人の視線を集めること:他人の眼差しこそが、露出症者の問題系の中心にある。M・ボスはそれを眼差しのコミュニケーションと呼び、ラカンはそこに主体が自分のものにしようとしている現実的対象を見出している。露出症者は、見られれば見られるほど、また、それがどんなやり方であったとしても、自分の術作に興味を持ってもらえればもらえるほど、行為を大げさにする傾向がある。無関心な反応は、彼等を不安で無防備な状態にさせるばかりか、抑うつ状態に陥らせることもある。そのため、しばしば全く無意識のうちに前もって入念に準備しており、自分のやり方にこだわりがある。

④予め細部に渡り明確にされた環境の下で:先に述べた殆どの倒錯行為の様に、露出症者は細かく状況設定をしたシナリオを用意している。彼らの仕草から無意識の構成物を見つけることが出来る。
場所:教会、地下鉄、映画館、広場など。反対に、トイレや灌漑路、車中など人気のない場所が選ばれる場合もある。
時間:早朝、日暮れ、深夜。時間の選択には何らかの意味がある。
道具:新聞、タオル、スイング式の戸等の道具や、マント、レインコート、帽子など洋服を利用することがある。これにより、驚きの効果を演出したり、隠したり見せたりというゲームの支配者になることが出来る。
対象者:女性の場合が多い。子供や男性の場合もある。一人あるいは少人数の集団が狙われる。何らかの無意識的な基準、感受性によって選択される。
目撃者:露出症の物語の中で、権力を象徴する目撃者が重要な役割を果たしている。刑罰を求める露出症者は、目撃者に挑戦し、その人物を窮地に陥れたり、場合によっては窮地から逃れさせようとしたりする。その意味で、露出症は典型的な目標倒錯である。
精神分析では、初回の露出には特別な注意が向けられる。初回の露出は最も重要な意味を持っている。

・フロイトの指摘
①「露出症者は他人の性器を見る為に、自らの性器を露出するのである」『性欲論三編』
②「露出症は一次ナルシシズムの問題であると述べている。ファルスを所有していると確信を得るという、それだけの目的の為に、眼差している主体を単純に置換しているのである。」『メタサイコロジー』
③「露出は去勢不安に対するファリックな再確認である。露出の対象者は、彼らの不安の原因を具体化するために存在し、目撃者は自分の能力を証明するために使われる。」『メドゥーサの頭』


窃視症
1.症状
①仕草
 窃視症者は動かず、同じ姿勢を維持し集中するため、それと分かる。

②見せていないものを見ようとする
 彼等はプライベートな時間(陰部の手入れの最中、生理的欲求の発現、性的快楽を求めているときなど)を捕まえようとする。その快楽の本質は「断片への偏執」である。(ヘニング)

③ますます巧妙な方法をとること
 窃視症者は自らの快楽を増大させるための技術や手段に工夫を重ねる。こうした手段は、ファンタズムにおける、能動的視覚過程に対応しており、自分の思い通りに拡大、縮小、出現、消滅が可能である。

2.無意識の意味作用
フロイトに依れば、窃視症は内的暴力性を含む事を運命づけられた編集作用であり、見ることそのものが、内的暴力性を含んでいる。(ゴディバ夫人の例)
・恥をかかせることはしばしば暴力を凌ぐ力を持っている。窃視症者は、この暴力性を自分のものとしている。
・窃視症者は、徹底して、絶対的で、妥協の無い懐疑主義者である。(エスナール)
・今日的な写真芸術は、そのかなりの部分が覗き趣味である。一方、執拗に女性を被写体にして撮っている写真家は、自分の持たない性器を変容して見せようとする露出症者とおなじように、間接的に自分を露出しているようなものである。






服装倒錯

①服装倒錯の諸形態
ストーラーの分類
・異性装…単に異性の衣服を身につけること。生物学的性と心理的性が異なる場合。
・服装倒錯…性行為のときにだけ異性装を行う者。倒錯に属する。
ロゾラートの分類
・異性愛的服装倒錯…フェティシズムに類似する。断続的、熱狂的で、性行為時に限定される場合が多い。
・露出症的服装倒錯…華やかさが重要視され、目撃者が必要とされる。ファリックな母親に自らを同一化している。
・ホモセクシャルな服装倒錯…男性娼婦の場合が多く、誘惑という意味合いが強調されている。
・どの学者も、服装倒錯を同性愛や排他的同性愛とも区別するべきであるとする点では、意見が一致している。

②服装倒錯の意味作用
・サディスティックな行為との類似は、服装倒錯者が犠牲者の衣服を振りかざすことである。犠牲者の衣類は、戦利品の効力をもつ。
・マゾヒストのシナリオと似ている点は、服装倒錯者が犠牲者の役割を演ずる為に犠牲者と同じ衣服を用いてその屈辱を利用することである。
・フェティシズムとは、服装倒錯者が自らの欲望を呼びさまし、隙間の無い感覚を確かなものとするものを身につける点で類似している。これにより、全能の理想化された父親と自分を同一視している。
服装倒錯は以下の2段階の間を揺れ動いている。
・一次同一化…倒錯者が男性と女性のどちらでもありたいとする段階である。想像的に、あらゆる特権と能力を持ち合わせていて、衣服が自分に不足しているものをもたらすとみなされる。
・二次同一化…男性か女性かという選択を命じられる段階である。万能でありたいという欲望から、解剖学上の男女を入れ換えようとする。衣服はその逆転を可能にするものとみなされる。
衣服には、欠けているものを補う、男女の役割を自発的に逆転させるという二重の意味がある。服装倒錯は、人類学的な行動の謎(ファッション、カーニバル・通過儀礼的な仮装)を解き明かすことに役だっている。

③女性の服装倒錯
女性の服装倒錯が性的領域にとどまることは稀である。女性の服装倒錯は「露出症的」である(ロゾラート)。

④古代キリスト教における女性の服装倒錯
例:アンティオキアのペラジー、ビテュニアのマリナ、アレクサンドリアのウジェニー、コンスタンチノープルのアナスタジー、トゥールのパピュラ
・グノーシスの影響を受け、社会の典型と断絶したいという欲望の表れ。つまり、旧約聖書の創世記で描かれている、神が人類の男女を創造した楽園の最初の状態に戻りたいという願望が表現されていた。女性の服装倒錯は、キリスト教が抑圧してきた、キリスト教以前の神話を無意識に行為化している。

2012年5月12日土曜日

『性倒錯─様々な性のかたち』ジェラール・ボネ(PART3)

前回からの続き。

部分欲動
・4つの要素から構成される。衝迫、器官(口、目、皮膚、肛門など)への備給を伴う源泉、対象、そして目標である。
・衝迫:これは子ども時代の特定の羨望から生じる。倒錯者においては、なんでもない現実の出来事と、極度に抑圧された無意識の要素が不安定な瞬間に出会うことで生じる。したがって、エスのセクシュアリティがまず問題になる。
(※セクシュアリティ=性的特質。性的興味。性を意識させることやもの。)
・源泉:上記の衝迫を処理するために、ある快感や身体の一部が不可欠となったとき、これらの器官を源泉と呼ぶ。
・対象:子供は満足を得る為に、形を変え移動する部分対象を求める。倒錯は本来の性、ファリックな対象、あるいは性的対象へと変化させられた人物によって支配されている。このような仲介者を経ることで、倒錯者はほとんどいつでもオルガスムに達することが可能となり、性器的な性行為を行うことが出来る。
(※ファリック;phallic=陰茎の)
・目標:倒錯者において、倒錯の作用は、ある特定の目標に対して機能する。ここで意味する目標とは、単純な部分的快楽や子供が他者と出会うことで感じる喜びではない。倒錯者の目標は、理想に立ち向かうことであり、相手を逆上させることである。そうすることで、快楽が絶頂に至るのである。したがって、倒錯者は、精神分析に不可欠なもう一つのセクシュアリティの形態である理想的セクシュアリティに重要な点で挑戦している。

臨床的分類
・源泉の倒錯:患者は高まりすぎたリビドー的力動を、源泉あるいは性感帯に固着させ、欲動的セクシュアリティを優先的に機能させる。源泉の倒錯は自発的な行為である。大部分のマゾヒズム(苦痛主義、自傷行為など)や、ある種の同性愛、窃視症がそれに当たる。
・対象の倒錯:ある特定の性的対象に衝迫を集中させることである。この場合、前面に出てくるのは、性器的なセクシュアリティである。対象倒錯は、意識的であっても、無意識的に行われる。フェティシズムや服装倒錯、源泉の倒錯に属さないその他の形態の同性愛、男性の痴漢、女性のニンフォマニアなどがそれに該当する。これらの倒錯は、かなりの患者の意識を拘束しているが、性器的な私生活に限られているため、このタイプの倒錯者がパートナーを無理に自分の嗜好に合わせさせるようなことはない。
・衝迫による倒錯:特定の状況下で衝迫が生じると、全てを根こそぎにするタイプの倒錯。常軌を逸した状態において勝利を収めるのは、エスによるセクシュアリティと、つまり基本的なセクシュアリティである。強迫的倒錯と呼ばれるもので、病的に繰り返される強姦などである。

密閉された分裂
・暴力的倒錯者は、自分の行為を誰にも打ち明けることのできない秘密のものと考えており、そのことが治療への妨げとなっている。無意識における行動は極めて精巧に仕組まれており、患者が殆ど意識していないので、事件化した時に、裁判所が責任能力について検討しなければならないほどである。


欲動、性向、性格
・倒錯の根源である部分欲動は、一般に性向や性格と呼ばれるものの起源である。
・苦痛を無意識に求めるような人格を、道徳的マゾヒズムと呼び、失敗神経症の最たるものである。失敗神経症は、罰を受けることや不幸を感じることで興奮し、絶え間ない精神的苦痛などを必要とするのが特徴である。この無意識に罰や苦痛を求める欲望はどんな人にも存在しており、人間の心理現象の中で最も驚くべきパラドックスである。
・マゾヒスト的性格(ライヒ、ケスタンベルグ):常に不満を抱き、周囲の人間から一貫して拒否される状態が固まってしまっている状態。生まれながらのマゾヒストは、生きる喜びを味わうことが出来ず、病気や災害時にしか真の満足を得ることが出来ない。
・道徳的サディズム:表面上は人類愛的な形をとりながら、他人の苦痛に喜びを見出している。この傾向は、法的、道徳的、宗教的な要求に潜んでいる。
・サディスト的性格:性的にはサディズム的特性が確認されないが、こうした性格が総体的に個人を作り上げている。
・倒錯の場合、倒錯的性向を心の奥で受け入れることが出来ない場合が多い。その場合、倒錯的マゾヒストが、どんな苦痛をも拒絶することはよくある。また、サディストが他人に対して非常に尊敬の念を以って振る舞うことは、更に頻繁に認められることである。
・苦悩や苦痛、屈辱といった感情は、人類の善の体系においても中心的な役目も果たしている。苦痛と屈辱は、特にアイデンティティを確立するための手段になる。禁欲や神秘的経験が、人々のアイデンティティの強化に役立つことは、過去の歴史を見ても明らかである。


サディスティックな倒錯
サディスティックな倒錯者は自分にしか通用しない数多くの習慣や儀式に従って行動している。
フロイトの『性欲論三編』によれば、サディズムは能動的な原初的マゾヒズムに由来している。サディストの狙いは、無意識的に脅威となっている侵害感を他者の身体に植え付けることだが、成功に至ることなく、その行為は反復される。

サディストの行為の儀式化
・フロイト「倒錯を原初的な性的信仰の名残と考えるべきであるとほぼ確信するに至った。その原初的な性的信仰は、セム人にとってはひとつの宗教であった(モロク、アスタルテ信仰)」
・ロジェ・バスディード「人類のあらゆるエネルギーを受け止めて怪物になってしまった母親を殺して、生贄として捧げるという物語の原型であろう」
・環境は念入りに準備され、サディスティックな行為が自発的に計画された犯罪にならないように工夫されている。
・サディストの行為は現在の秩序への挑発的行為であり、理想を具象化したと思われる人を標的とする。

サディストとマゾヒストの特性「ジル・ドゥールズの『マゾッホとサド』」
・サディストは思弁的で論証的能力に優れる。マゾヒストは、弁証法的で想像的能力が豊か。
・サディストは、量的に行為を繰り返す。マゾヒストは、洗練さを増しながら質を高めようとする。
・サディストは、無気力。マゾヒストは、冷淡。
・サディストは、法の上に位置づけたアイロニーを操る。マゾヒストは、ユーモアを使い、アイロニーを嘲笑する。
・サディストは、母親を否定して、父親を重要視する。マゾヒストは、母親を否認しつつ父親を消滅させる
・サディストは、社会制度に依拠する。マゾヒストは、個別の契約事を好む。
(このあたりのサディストとマゾヒストの特性については、私的にもっていたイメージと一致する)


マゾヒスティックな倒錯
・マゾヒストは演出家と主役を兼ねている。「自分が監督を務める映画に出演するとき、最高の演技ができる。(ウッディ・アレン)」
・サディストはしばしば自分の欲求に気づいていないが、マゾヒストは自らの欲求をよく知っている。
・デモンストレーション的な特性:マゾヒストの狙いは、受けた苦痛を忍従や屈辱によって倍加させること。その苦痛と屈辱は、ともに現実であること、可視的であること、コントロール出来ることが必要である。これらの虐待には、目撃者がいることで効果が倍加される。その意味でデモンストレーション的である(テオドール・ライク)。
・マゾヒズムの行為は、身体に危険が及ばない程度にコントロールされており、生命や重要な臓器を危険にさらすようなことは滅多にない。

私見、補足:マゾヒストは、物語によって徐々に必然性を醸成した上での苦痛や屈辱からしか満足を得られない。単なる苦痛や意図せぬ恥辱などは、寧ろ普通の人々よりも強い不快感を覚える。このあたりが、誤解されがち。

性的快感をできる限り引き伸ばす
・苦痛が決められた閾値に達すると、興奮が段階的に高まり、オルガスムが得られる。ストーラーは、これが真のトランスであると述べている。テオドール・ライクは、こうした快感のタイムリミットを先延ばしにしようとする方法を中断因子と呼んでいる。
・マゾヒストの契約:マゾッホが妻ワンダに宛てた有名な契約書がある。マゾヒストの契約の典型的なモデルである。
・マゾヒストは見物人に自らのゲームに参加させ秘密の共有を強いる。見物人に対する軽蔑と自分に屈服させたい欲望を見事に表現している。この観客こそが、テオドール・ライクが性的挑発因子(性的に攻撃的な姿勢)と名付けているものである。マゾヒストのサディズムは手が込んでおり、極めてエロティックである。




2012年4月14日土曜日

『性倒錯─様々な性のかたち』ジェラール・ボネ(PART2)

前回に続き、ボネ著の『性倒錯─様々な性のかたち』の中身を紹介します。
気になった箇所を端的に箇条書きでいきます。
前後の文脈の中でないと意味が分からない文章もあるかと思いますが、
雰囲気だけでも掴んでいただければ。

性倒錯は孤独な快楽
・倒錯者は、自分の作品要素の中に自らの性的特性を組み入れている。
・倒錯は無意識のコードに対応しており、自体愛的な快楽を目指しているので、
 極めて個人的である。それを体験する者にとっても孤独で神秘である。
・倒錯行為は、もともと必然的に排他的になろうとする傾向をもっている。
 倒錯行為が他の形の快感を消していくことで、満足を増していくことも稀ではない。
・倒錯行為は、反復やステレオタイプな形に至ることがあり、
 しばしば表向きの意味作用が失われ、凝り固まってしまうこともある。
 そうすると、主体はますます非合理な方法を強いられてしまう。

性倒錯者は個々に無意識の内奥で、極めて独特な文脈の中に
性的快楽を組み込んでいる。
作り上げたストーリーを演じることが目的化し、
通常の性的快楽すらバイアスとなり、邪魔になることもあるとのこと。


倒錯は遺伝するのか?
・遺伝性は、他の病気より少ない。
・子供に倒錯が見られることは稀である。子供の倒錯では、
 原初的な欲動の活動が問題となっており、大人の倒錯に類似しているが、
 その意味合いは異なっている。(ボネ)

因みに、私は幼児期(3歳前後)に自らの倒錯的傾向を自覚し始めていました。

対象倒錯と目標倒錯
・対象倒錯:性的魅力が「対象」によって優位に発揮されるような人、
      あるいはそのような現実を、性対象倒錯と呼ぶ。
      近親相姦、獣姦、死体愛等、性行為そのものは正常だが、
      対象に倒錯が見受けられる者。
・目標倒錯:窃視症、サディズム等、性衝動を通常の性行為以外の
      行為によって満たすもの。

●対象倒錯の例
・ある種のナルシシズム(1898年;ハヴロック・エリス、ネッケ、ザドガー):
 主体は鏡に向かって自慰することでしか快楽を得ることが出来ない。
 したがって、この場合の対象は自分自身であり、様々な形で実践可能である
 (写真、録音等)。
・死体愛:精神薄弱や精神病が原因の場合もある。もっと控え目な形では、
     葬式で興奮したり、危篤状態のパートナーに病的な快感を
     覚えたりすることがある。こうした快楽が成立するのは、
     あらゆる離別の彼方に、無意識的な母への固着が
     存在するからである(ポー、ボードレール、モラヴィアなどの文学を参照)。
     ヴァンピリズム(吸血症)についても同様。
・獣姦:父親と理想化された動物の間には古典的な代理関係が存在することが
    知られている。

フロイトの転機
フロイトは倒錯者と正常者の間の高い壁をあえて乗り越えようとした。
それは、倒錯者が世界的に共有された産物であり、
必ずしも病的なものではないことを示す為である。
倒錯は性的無意識に依拠している。
つまり、倒錯はもはやアウトサイダーのための表現ではなく、
最も基本的な様相の一つと考えられるようになった。

フロイトから読み取れる3つのセクシュアリティ
①自発的、暗黙的なもので、言語の中に埋め込まれている。
 したがって、これが依拠するところは文化的なものである。
 これは基本的に、理想的セクシュアリティとの関連で練り上げられる。
②倒錯を性器的セクシュアリティと関連付ける考え方。
③倒錯を前性器的な欲動的セクシュアリティに関連付ける考え方。
 つまり、人間のメンタリティを奥底で組織化している
 幼児性欲と倒錯とを関連付けようという考え方。

倒錯のネーミングの由来
●有名な地名に由来する表現
・ソドム:ソドミーは禁じられた不浄の身体の場という意味から、
     肛門性交を意味するようになった。
・レスボス:アテネのギリシア人作家が、同性愛者一般の故障として
      レズビアンという言葉を用いたのが始まり。
      詩人サッポー(紀元前7~6世紀)は宗教的女性結社の指導者で、
      少女の教育を担っていた。彼女の作品の多くは女性の魅力を
      褒めたたえるもので、嘲笑の的であった。
      サッポーがレスボス島の出身であったことから、
      アテネでは「レズビアン」と呼ばれ、やがて同様の自由を要求する
      女性すべてにこのことばが用いられるようになった。
     「サフィズム的な快楽」と呼ばれることもある。
      因みに、レスボスは男の神の名前。

●アンチ・ヒーローの名前に由来する表現
オナン:ユダヤ・キリスト教において、ソドムと同じくらい不名誉な名前。
    聖書の創世記に登場する人物。死んだ兄の代わりに
    子孫を残すべく兄嫁と結婚させられたが、当時の法に則り
    子供が出来れば、父の遺産が自分のものとならないのを知っていたので、
    「子種を地面に流した」とされる。社会集団がセクシュアリティに
    割り当てた目的に逆らったという理由で、彼は倒錯とみなされた。
    オナニズムはマスターベーションの類似語となり、
    多くの倒錯において重要な位置を占める。
    勿論、この行為自体は倒錯に当たらない。

●半神の名前に由来する表現
時間や空間の隔たりを飛び越えて、快楽至上主義の古代ギリシア・ローマの
異教文明の半神を持ち出すことによって、倒錯を多少なりとも
不気味な中間存在として位置付けることが出来る。

・ニンフ:ニンフォマニアも同様である。この古い言葉(1732年)は
     ギリシア語を起源としている。
     マニア(躁病)が想起されるが、魅了という意味に重点が置かれている。
     女性の性欲が亢進している状態を表す。(クラフト=エビング)
・サテュロス:ギリシア神話に出てくる半人半獣の神。常時勃起した陰茎を持つ。
       サテュリアシス(男子色情症)は古代医学の用語に属する。
       しばしば、色情症に留まらず男性の倒錯一般を表すのに使われる。
       倒錯に神的な由来を与えることは、われわれが無意識の側にあるものに、
       より接近しやすいという利点がある。




2012年2月25日土曜日

『性倒錯─様々な性のかたち』ジェラール・ボネ

ジェラール・ボネの『性倒錯』を読みました。

フロイト、クラフト=エビング、ラカン、マニャンなど
過去の偉大な心理学者の研究を引用しながら、
サディズム、マゾヒズム、露出症、窃視症、服装倒錯など
性倒錯の中では比較的メジャーな倒錯について書いているもの。

コンパクトによくまとまっていて、
「性倒錯とは」ということを改めて知るにはよい本。

性倒錯について知ることは、
単に奇妙な性欲を持っている人について知ることではない。
それは特殊な性質ではあるが、
人類のある割合で共通する人間心理であり、
心の深奥を知る手掛かりとなるものなのです。

今後何回かに分けてこの本の内容の紹介をするとともに、
私の解釈や考えを書いていきます。

性倒錯─様々な性のかたち (文庫クセジュ) [新書] / ジェラール ボネ (著); 西尾 彰泰, 守谷 てるみ (翻訳); 白水社 (刊)